2006-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 ゴーモン社(1906)

ゴーモン社はこの年、それまでの合資会社レオン・ゴーモン商会から資本金250万フランの株式会社ゴーモン商会に改組している。ロンドンとニューヨークに支社を持つようになり、スイス・フランス銀行と結びついた。 映画製作は引き続き、アリス・ギイが中心…

 パテ社の好調

フランスのパテ社は引き続き好調だった。ニュース映画の分野では、再現した作品ではなく、本物の場面を撮影したニュース映画を製作するようになった。 トリック映画の分野では、この分野のパテ社の第一人者だったガストン・ヴェルがイタリアのチネス社へと移…

 ジョルジュ・メリエスの衰退

ジョルジュ・メリエスはこの年も、今までと同じようにトリック映画を製作している。「悪魔の400の悪ふざけ(「悪魔の大騒ぎ」)」(1906)は、主人公が黙示録に登場する馬が引っ張る馬車に乗って、地獄へと駆けていくという内容のもので、今までどお…

 日本映画(1905)

昨年勃発した日露戦争はこの年の8月に日本が勝利した。昨年から続いていた日露戦争映画はこの年も人気を誇った。 吉沢商店のカメラマン千葉吉蔵は、日露戦争の撮影も行っていたが、東郷平八郎元帥が東京に凱旋した際に、カメラを手持ちにして、電信柱に上っ…

 その他(1905)

映画はこの頃モノクロであったが、フィルムに直接着色することで、カラーとしても上映を行っていた。はじめは手作業で行っていたこの着色の作業だが、1905年頃から機械化されるようになったといわれている。 ドイツでは1905年以降、セルロイドに代わ…

 ニッケル・オデオンの誕生(2)

後に、ハリウッドの大立者となる人々もニッケルオデオンで資本を蓄えた人々である。 アドルフ・ズーカーは、1903年にペニー・アーケードの施設を営む会社を仲間と一緒に設立し、マーカス・ロウを仲間に引き入れたが、会社から除名されていた。その後ズーカ…

 ニッケル・オデオンの誕生(1)

この年のアメリカでは、ニッケル・オデオンの誕生という大きな出来事があった。 ニッケル・オデオンはピッツ・バーグに誕生した映画館のことで、朝8時から真夜中まで、1番組約20分程度で映画を上映した。入場料を5セント、すなわちニッケル銅貨だったこ…

 アメリカ(1905)

アメリカでは、エジソン社のエドウィン・S・ポーターが、ジョルジュ・メリエス的な「クリスマス前夜」、イギリスのセシル・ヘップワースの作品に似た「レアビット好きの夢」といった作品を製作している。 ポーターはメリエスやイギリスの作品を剽窃して作品…

 イタリア、スペイン、ドイツ(1905)

この年、イタリアで映画機器開発者でもあり、ローマの映画館経営で成功していたフィロテオ・アルベリーニは、ダンテ・サントーニの資本参加を得て、最初の映画製作会社「アルベリーニ・エ・サントーニ社」を設立している。 ローマに敷地2,000平方メート…

 イギリス セシル・ヘップワースの活躍

イギリスでは、セシル・ヘップワースが製作した「ローヴァーに救われて」という映画がヒットを飛ばした。犬が誘拐された赤ん坊を見つけ出すというこの作品は、ショットを割って空間的な広がりを感じさせる作品だった。 ヘップワース自身と妻と娘と飼い犬が出…

 ゴーモン社

フランスのゴーモン社はこの年、スタジオを建設している。そして、そのスタジオの製作責任者に、他の候補者を退けて、女性のアリス・ギイが就任する。ギイは人形劇、演劇、伝説、小説からアイデアを得て、さまざまな作品を製作した。 またこの年、ヴィクトラ…

 ジョルジュ・メリエスの凋落の始まり

映画界をトリック映画で豊かにしてきたジョルジュ・メリエスは、この年第二スタジオを建設している。それだけではなく、大量の衣装を買い込み、日光の弱さを補うためにスタジオ内に電気の照明装置を取り付けた。 作品も多く発表した。ベルギーの国王を皮肉っ…

 パテ社のさらなる伸張

フランスのパテ社はこの年も様々なジャンルの映画を製作している。 再現された実写映画の分野では、ロシア革命が題材である「ロシアにおける諸事件」(1905)や、「戦艦ポチョムキン」の題材ともなった事件を映画化した「ロシア革命−オデッサ事件」(1…

 日本 吉沢商店と横田商会

日露戦争映画によって興行的に成功を収めた吉沢商店の経営者である河浦謙一がこの年、アメリカへ映画界の視察に赴いている。エジソン・スタジオを見学し、後年目黒撮影所を建設するときの参考にした。また、ニューヨーク郊外のコニーアイランドの遊園地も訪れ…

 日本 日露戦争

この年は、日露戦争が勃発した年であり、日本映画界も日露戦争の影響を大きく受けることとなる。 日露戦争には吉沢商店などがカメラマンを派遣した。撮影競争が激しく、深入りしすぎて戦死したカメラマンもいたといわれている。また、日本からだけではなく、…

 その他の状況

フィンランドでは、エンジニア出身のカール・エーミル・ストールベルイという人物が、ヴェルデン・ルント/マーイルマン・インパリ(世界一周)という名前の映画館を開設している。ストールベルイはこの後、映画館チェーンを作っていき、1911年には81…

 イタリア映画の胎動

イタリアではトリノで写真製品の卸業を行っていたアルトゥーロ・アンブロージオがこの年、映画カメラを入手し、スポーツ大会やルポタージュなどを撮影し、映画製作の第一歩を踏み出したといわれている。ちなみに、この頃のトリノは、写真芸術の中心地だった…

 イギリス映画と剽窃

イギリスではこの年、セシル・ヘップワースによる「強盗の巣」(1904)、ゴーモン・ブリティッシュ社製作、アルフレッド・コリンズ監督による「個人広告欄」(1904)などが製作されている。 「個人広告欄」は、新聞の個人広告に花嫁募集の広告を出し…

 トーキーへの挑戦

この頃、様々な会社や技術者がトーキー映画を実現させようという努力を行っていた。だが、その努力は実らなかった。現在のようにフィルムに光学的な音声情報を記録するという方法ではなく、蓄音機と同調させるという方法をとっていたために、同調の部分でな…

 ハリウッドの立役者の胎動 ワーナー・ブラザース

後にハリウッドのメジャー会社ワーナー・ブラザース設立することになるワーナー4兄弟がこの年映画興行界に参入している。彼らはペンシルベニア州ニューキャッスルに映画館をオープンさせ、家族ぐるみで経営を行った。

 パテ社の伸張とゴーモン社

数の面で市場の需要に応えていたフランスのパテ社は拡大を続けていた。売上は年々増大し、すでに世界最大の映画会社となっていた。系列会社を設立して撮影機・映写機の製造も行った。1902年頃まで、フランスではゴーモン社製の映写機が主流であったが、…

 長くなった上映時間

「大列車強盗」のヒットもあり、この年あたりから1作品の上映時間が長くなっていった。平均で10分を超えるようになり、短いストーリーを語ることができるようになった。 いち早く長編に取り組んでいたジョルジュ・メリエスは、この年「不可能な世界への旅行…

 日本映画(1903年)

以前に、義和団事件のニュース映画を撮影した吉沢商店はこの年、有名人の葬式や博覧会や観艦式などニュース映画を撮影していく。また、外国からも積極的にフィルムを輸入し、作品のストックを増やしていった。豊かな作品のストックから、吉沢商店では長期興…

 映画評「大列車強盗」(2)

「大列車強盗」の最も特筆すべき部分を挙げるとすれば、それは空間の広がりについてだろう。ジョルジュ・メリエスの作品を見ていると、アイデアの豊かさを楽しむことはできるが、空間の広がりを感じられない。メリエスの場合は舞台で演じられているものを撮影…

 映画評「大列車強盗」(1)

エドウィン・S・ポーター監督による歴史的な作品。エジソン社製作。この作品は、強盗が観客に向かって発砲するショットがあまりにも有名になりすぎている感がある。観客に向かって発砲するショットが、映画がまだ物語を語ることと、観客自体が見世物である…

 その他の状況

ロシアでは、1903年〜1904年にかけて、「エレクトロテアトル(電気館)」と呼ばれる映画館が各地に誕生している。 イタリアでは、1903年頃までに、ほとんどの都市に映画館が出来ていた。巡回興行者たちも増え、イタリア製映画への需要が生まれて…

 ハリウッドの立役者の胎動

後にパラマウント社のトップとして活躍するハリウッドの立役者の一人であるアドルフ・ズーカーが、他の協力者とともにニューヨークにペニー・アーケードをオープンさせる。ペニー・アーケードとは、1ペニー(1セント)で楽しめる娯楽を集めた施設のことだ…

 パテ社(1903)

数の面で市場の需要に応えていたフランスのパテ社は、この年も様々な作品を製作している。 パテ社が製作した作品の種類は多岐に渡る。再現されたニュース映画の分野では、「マケドニアの殺戮」「レオ十三世の逝去」「ピウス十世の即位」といった作品が製作さ…

 ジョルジュ・メリエス(1903)

前年(1902)に、「月世界旅行」という現在でも名声を得ている作品を制作したメリエスはこの年、「妖精の王国にて」「地獄のファウスト」といった作品を制作している。 「妖精の王国にて」については、ジョルジュ・サドゥールが「世界映画全史」の中で「…

 イギリス映画の状況(1903)

イギリスでは、ウォーリク社やアーバン社といった会社がニュース映画やドキュメンタリー映画を製作しはじめる。特にアーバン社は世界中にカメラマンを派遣して、「セルヴァン登頂」(1903)「デリーの謁見所」(1903)といったドキュメンタリーを撮…