2007-11-01から1ヶ月間の記事一覧

 フランスの第一次大戦映画

第一次大戦に参戦中のフランスでは、戦争プロパガンダ映画が作られた。ゴーモン社、フィルム・ダール社、パテ社で製作されるが、人気はつかの間のものだった。 一方、戦争の記録のために、1915年に陸軍写真映画部が創設され、映画評論家のジャン=ルイ・…

 フランス映画界の衰退 第一次大戦の影響

フランスはかつて映画製作の中心地であり、その中心にあったのはシャルル・パテ率いるパテ社だった。シャルル・パテは映画について次のように語っている。「シネマトグラフは、軍需産業と並んで、唯一の世界的産業であり、その最大の国がフランスだった。戦…

 イタリア映画 ディーヴァを中心とした映画作り

イタリア映画が得意としたスペクタクル映画は多少作られたが、物資の不足から数が減っていき、イタリア映画はスター女優の「ディーヴァ」を中心とした<3人の登場人物>で済む映画に戻った。 「映画スター=ディーヴァ」という用語を定着させたのは、ローマ…

 イタリア映画 威光が頂点に

イタリアは当時、アメリカに次ぐ世界的な映画製作国としての威光を保持していた。 1915年、フランスのパテ社は世界市場における自社の地位を固めるために、製作が危機に陥っていたフランスを当てにせず、イタリアの映画製作会社と独占契約を結んだと言わ…

 連続映画熱

前年(1914年)に、「ポーリン」(1914)などによって高まった連続映画熱は、アメリカではまだ続いていた。30エピソードからなる「金剛星」(1915)が製作されたり、トラストを批判した「グラフト」(1915)という連続映画作品がユニヴァ…

 ハロルド・ロイドの映画界入り

後年、チャールズ・チャップリン、バスター・キートンと並んでサイレント期の3大喜劇俳優と言われることになるハロルド・ロイドがこの年から短編喜劇に出演するようになる。ハル・ローチのもとで、ロンサム・リュークというチャップリンの亜流とも言えるキ…

 エッサネイ時代のチャップリン映画の特徴

エッサネイ時代に、チャールズ・チャップリンはペーソスを感じさせる作品を作るようになっていく。その代表作が、「チャップリンの失恋」(1915)である。 「チャップリンの失恋」は、チャップリン演じる浮浪者チャーリーが、農園の娘を悪漢から助けてや…

 エッサネイ時代のチャップリン

1914年にキーストン社から映画デビューし、瞬く間に人気を集めたチャールズ・チャップリンは、1915年にはエッサネイ社に移籍して映画製作を行っている。 エッサネイ社との契約により、チャップリンは原作・監督・主演とすべて自らが行うことが出来る…

 ワールド・フィルム社、メトロ社の設立

「風と共に去りぬ」(1939)のプロデューサーとして有名なデイヴィッド・O・セルズニックの父であるルイス・セルズニックが1915年にワールド・フィルム社を設立している。ヴァイタグラフ社のスターだったクララ・キンボール・ヤングを雇い、モーリ…

 アドルフ・ズーカーのフェイマス・プレイヤーズ社とメアリー・ピックフォード

アドルフ・ズーカーのフェイマス・プレイヤーズ社は、メアリー・ピックフォードの作品を中心に映画製作を行っていた。「蝶々婦人」(1915)では、著名な舞台人のデイヴィッド・ベラスコが演出を行った。 メアリー・ピックフォードは当時、大衆の人気を勝…

 セシル・B・デミルの映画製作「カルメン」

「カルメン」(1915)は、舞台でもカルメンを演じたオペラの歌姫ジェラルディン・ファーラーが出演した作品として注目を集めた。2万ドルの出演料、ハリウッド滞在費の全額負担、アメリカを横断する貸切車両の準備などファーラーは厚遇を受けて撮影され…

 セシル・B・デミルの映画製作「チート」

ラスキー・フィーチャー・プレイ社で西部劇を中心に映画製作を行っていたセシル・B・デミルは、この年社交界ドラマの「チート」(1915)と、文芸作の「カルメン」(1515)を製作している。 「チート」は、三角関係というありふれた話だが、眼や眉で…

 セダ・バラの売り出し法

「愚者ありき」の成功は、内容もあっただろうが、ウィリアム・フォックスのセダ・バラの売り出し方にも大きく依存していた。 セダ・バラの本名は、セオドア・グッドマンといい、シンシナティの仕立て屋の娘であった。しかし、セダ・バラは、イタリアもしくは…

 セダ・バラの「愚者ありき」

自らが率いる社名をフォックス社と変更したウィリアム・フォックスは、セダ・バラを「愚者ありき」(1915)で売り出し、大ヒットさせている。 「愚者ありき」は、ラディヤード・キップリングの詩「吸血鬼」に基づく舞台を映画化した作品である。すでに、…

 ダグラス・フェアバンクスの出発

D・W・グリフィス、トマス・H・インス、マック・セネットが中心となって運営されたトライアングル社には、様々な役者が所属し、その中にはダグラス・フェアバンクスもいた。フェアバンクスはトライアングル=ファイン・アーツ社に入社したが、グリフィス…

 キーストン映画の特徴

キーストン映画は権威への不敬、不条理やバーレスクにより観客を楽しませ、成功を収めた。 キーストン映画の特徴を「世界映画全史」の中で、ジョルジュ・サドゥールが挙げているものを列挙してみよう。「(セネットは)大衆の趣味について鋭い感覚を持ってい…

 チャップリンが抜けた後のキーストン社

チャールズ・チャップリンが去ったマック・セネットのキーストン社だったが、ロスコー・アーバックル、メイベル・ノーマンド、マリー・ドレスラーは残った。さらには、チャップリンの実兄であるシドニー・チャップリンを雇い入れ、カール・レムリのトランスア…

 トマス・H・インスとウィリアム・S・ハート

トライアングルのインス組ではレジナルド・バーカーが筆頭補佐役で、ジャック・コンウェイ、フランク・ボーゼージといった人物が監督として所属していた。実際にはインスが監督した作品ではなくとも、インス組の作品は、インスの作品として上映された。そん…

 グリフィス組の作品

トライアングル社の中で、グリフィスのファイン・アーツ社は、文芸映画を製作した。「イノック・アーデン」の3回目の映画化である「死の結婚」(1915、リリアン・ギッシュ、ウォーレス・リード主演)といった作品を製作したが、興行的にも、芸術的にも…

 トライアングル社の設立

配給会社ミューチュアル社のハリー・エイトケンは、このときミューチュアル社から追放されていたが、アメリカの映画製作の覇権を握るために、映画製作会社のトライアングル社を設立している。 トライアングル社にはD・W・グリフィス(「国民の創生」の製作…

 MPPCの崩壊

1915年、エジソン社を中心としたカルテルであるMPPCに対して、独占禁止法違反の判決が下りた。すでにMPPCは独立系の映画会社の押され、実際上は数年前から力が衰えていた。パテ社は脱退しており、バイオグラフ社は文芸映画の試みに挫折。エジソ…

 「国民の創生」が与えた影響

「国民の創生」は後の映画に多大な影響を与えるエポック・メイキングな作品となった。 「国民の創生」は、アメリカ映画の世界覇権のとっかかりとなる作品でもあった。アメリカ映画の世界覇権は、第一次大戦によって、より進んでいくことになる。ジョルジュ・…