2007-04-01から1ヶ月間の記事一覧

 インド初の映画

インドではこの年、最初のインド映画「ハリシュチャンドラ王」(ダンディラジ・ゴヴィンド・ファールケー監督)が製作し、熱狂的に受け入れられたといわれている。ファールケーは続いてインドの宗教伝説に材を求めた映画を製作し、1913年から18年にか…

 1913年のドイツ映画と「プラーグの大学生」

1912年にトラストの実現が失敗に終わったドイツでは、分散状態で各社で映画製作が行われていた。 D・K・G社(デーカーゲー社)は、フランスのゴーモン社から若い女優を引き抜いた。演出にもフランス人が多く、フランスでも撮影されたという。 P・A…

 ロシア映画 1913年

ロシアでは、映画の製作本数が増え、1909年には10数本程度だったが、1913年には130本に及ぶ作品が製作されたという。 ハンジョンコフ社では、社交界ドラマ「幸福の鍵」(1913)が成功した。「幸福の鍵」の監督ヤーコブ・プロタザーノフやエ…

 デンマーク映画、スウェーデン映画 1913年

世界的に人気を得ていたデンマークでは、「アトランチス」(1913)が製作されている。 当時の著名な劇作家ゲルハルト・ハウプトマンの小説を映画化し、アウグスト・ブロムが演出を担当した。アメリカにロケを行ったこともあり、制作費は50万マルクかか…

 イギリスの文芸映画

停滞していたと言われるイギリス映画は、1913年に多くの文芸映画を生み出している。 「アイヴァンホー」(1913)は、芝居をそのまま撮影したものだったが、ブリティッシュ・アンド・コロニアル・キネマトグラフ社が製作した「ワーテルローの戦い」(…

 イタリア ディーヴァの誕生

イタリアでは史劇が多く製作される一方で、現代的な作品も多く作られた。イタリアの現代劇映画は三角関係の中で展開されることが多かった。その現代的な作品は女優の人気によって成り立っていた。彼女たちは、「ディーヴァ(女神)」と呼ばれるようになって…

 イタリア 第二の「クォ・ヴァヂス」

イタリアでは1912年に製作され、世界的に大ヒットした「クォ・ヴァヂス」に続けと、大作映画が多く作られたが、「クォ・ヴァヂス」の成功には及ばなかった。 「ポンペイ最後の日」(1913)の再映画化は競作となった。アンブロージオ社は、1913年初…

 フランスの連続映画 「ファントマ」「プロテア」

この年、アメリカでは連続映画「キャスリンの冒険」が人気を得ていたが、連続映画の草分け的存在である「ジゴマ」を生み出したフランスでも連続映画が製作され人気を得ている。 ゴーモン社のルイ・フイヤードが監督した「ファントマ」(1913〜1914)…

 フランス 喜劇映画と「人民の映画」

フランス喜劇を支えていたマックス・ランデーは1913年には、「マックスとピアノ」「闘牛士マックス」といった作品を製作している。だが、ランデーの仕事はやっつけ仕事となり、同じ人物を繰り返し演じていたと言われている。 パテ社が喜劇製作のために設…

 ジョルジュ・メリエス 最後の映画製作

「月世界旅行」(1902)から11年、かつて映画製作のトップに君臨していたジョルジュ・メリエスは1913年に最後の作品を製作することになる。パテ社の援助によって作られた「雪の騎士」(1913)、「ブーリション家の旅行」(1913)の2作がそ…

 ニッケルオデオンの衰退

労働者階級にとっての映画常設館として、映画草創期に映画産業確立の立役者となったニッケルオデオンは、この頃には姿を消したとも言われる。そして、入場券を扱う「ボックス・オフィス」という言葉のみが、現在でも使われている。 そんなニッケルオデオンの…

 エジソン社の映画製作

衰退への途を歩んでいたエジソン社だったが、映画製作は行われていた。 1913年は、「AT BEAR TRACK GULCH」「THE AMBASSADOR’S DAUGHTER」「A SERENADE BY PROXY」「ALL ON ACCOUNT OF A TRANSFER」といった作品が作られている。 (映画本紹介)無声映画…

 ウィリアム・ハーストとニュース映画

新聞王として有名なウィリアム・ランドルフ・ハーストは、1913年にはワーナー兄弟と提携して、ニュース映画を製作している。次にシーリグ社と提携し、ニュース映画を製作し、パテ・ニュースを配給していたMPPCの配給会社ジェネラル・フィルム社によっ…

 連続映画 カスリーンの冒険

1911年にフランスで製作された「ジゴマ」など、連続映画は大衆の人気を得ていたが、1913年にはアメリカにおける連続映画である「キャスリンの冒険」がシーリグ社によって製作、公開されている。猛獣映画を得意としていたシーリグ社の作品だけあって…

 マック・セネットのキーストン社

マック・セネット(写真)が率いる喜劇映画製作会社のキーストン社では、後に大人気喜劇役者となるロスコー・アーバックルがヴォードヴィルの世界から、キーストン社に入社している。アーバックルは「ファッティ」のあだ名で、メイベル・ノーマンドとの共演作な…

 D・W・グリフィスのバイオグラフ社からの離脱

完全に独立側に押されていたMPPC側の映画製作では、カーレム社がキリストの生涯を映画化した作品を製作した。キリストを冒涜しているという議論も起こったが、興行的にはヒットした。 MPPC側で何とかがんばっていたのは、バイオグラフ社だった。その…

 青木鶴子のハリウッド映画出演

早川雪洲の妻としても知られる日本人である青木鶴子はこの年、「お鶴さんの誓い」(1913)という映画に出演している。喜劇で、日本的な異国情緒をコミカルに描いた作品だったといわれている。青木鶴子は、早川雪洲よりも先に、ハリウッド映画に出演して…

 トマス・H・インスとミューチュアル社

独立系の一翼を担っていたミューチュアル社で映画を製作していたトマス・H・インスの元では、後に大活躍する監督となるフランク・ボーゼージらが俳優として活躍していた。1913年には、その中にウィリアム・S・ハートが加わっている。ハートは3巻物の西部…

 ユニヴァーサルの第一作

1912年にIMP社とパワーズ社などが合併して設立された、カール・レムリのユニヴァーサル社の第一作が1913年に公開されている。ニューヨークにおける社会調査を元にした「暗黒街の大掃蕩(TRAFFIC IN SOULS)」(1913)がそれである。この作品は…

 フェイマス・プレイーズの長篇ロードショー制度の確立

後にラスキー・フィーチャー・プレイ社と合併することになる、アドルフ・ズーカー率いるフェイマス・プレイヤーズ社は、早くから長篇に目をつけていた。ズーカーは、上映時間1時間以上の長編映画による週替わりの上映番組を編成しようと試みた。1913年以来…

 ラスキー・フィーチャー・プレイの設立

MPPCと独立系映画会社の対立は、独立系映画会社に軍配が上がりかけていた。独立系の勢いを止めることは、MPPCにはもはや出来なかった。ウィリアム・フォックスによって行われた、MPPCに対する反トラスト法違反の告発は、政府がMPPCに対して…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(5)

ただ、ここで忘れてはならない点が1つある。ニッケル・オデオンは人々と映画の距離を縮めたが、まだ現在の私たちと映画館の関係とは異なった存在であった。加藤幹郎の「映画館と観客の文化史」はニッケル・オデオンでは映画上映のみならず、ヴォードヴィル劇…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(4)

ニッケル・オデオンの誕生は、映画が産業として成り立つことを証明して見せた。それは、中流階級のみを相手にすることではなく、労働者階級も含めたより大きなマスを相手にすることで可能となったといえるだろう。実際、ニッケルオデオンはよりいっそう大きな…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(3)

労働者階級にとっての映画専門館が存在していなかったという状況の中、ニッケル・オデオンが1905年のピッツバーグに誕生している。ニッケル・オデオンは朝から夜まで、1番組について20分程度で映画を上映した。ニッケル・オデオンには客が詰めかけた。 …

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(2)

ニッケル・オデオンは決して初の映画常設館ではなかったという点も触れておく必要がある。 1902年4月には、ロサンゼルスに映画専門館のエレクトリック・シアターがオープンしている。また、エレクトリック・シアターのオープンの前にも、数は少なかったが…

 ニッケル・オデオンが映画にもたらしたもの(1)

ニッケル・オデオンとは、映画草創期にアメリカ全土で映画を提供した映画常設館のことである。もっと分かりやすく言うと、映画館のことである。では、なぜ映画館ではなく、わざわざ「ニッケル・オデオン」という別名がついているのだろうか?それは「ニッケル…

 フランス マックス・ランデーの作品

「MAX VEUT GRANDIR」(1912) 製作国フランス英語題「MAX GETS STUCK UP」 パテ・フレール製作・配給 監督・脚本・出演マックス・ランデー 接着剤がついたのか、マックスの手に紙や皿が貼りついて離れなくなる。 ワン・アイデアで作られた3分程度のコ…

 フランスの作品 1912年

「ARTHEME SWALLOWS HIS CLARINET」 エクリプス社 クラリネットが口から突き刺さって、頭の天辺から飛び出てしまった男が、多くの引っ張ってもらったりして助けてもらう。日本ではよく、戦国時代の兵士の頭に矢が刺さるといったギャグで使われる方法で表現さ…

 ロシアの作品 1912年

「MEST KINEMATOGRAFICHEKOGO OPERATORA」(1912) 製作国ロシア 英語題「THE CAMERAMAN’S REVENGE」 ハンジョンコフ製作 監督・脚本ヴワジスワフ・スタレーヴィチ 製作アレクサンドル・ハンジョンコフ ビートル氏は仕事で街に行き、ダンサーのトンボと…

 イギリスの作品 1912年

「THE COPPER BEECHES」(1912) 製作国イギリス エクレール・ブリティッシュ製作 原作アーサー・コナン・ドイル 出演ジョルジュ・トレヴィル ぶな屋敷に住む男は、娘が駆け落ちしようとしていることを知り、小屋に閉じ込める。男は、娘に似た家庭教師を…