2007-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 トマス・H・インスの作品 1913年(2)

「THE DRUMMER OF THE 8TH」 トーマス・H・インス監督、ブロンコ社製作、ミューチュアル社配給。 兄の南北戦争の出征を見て、ドラムを持ってこっそりとついていく少年ビリー。戦場で捕虜となったビリーは、脱走の途中、たまたま敵の司令官の計画を聞く。ケ…

 トマス・H・インスの作品 1913年(1)

「GRANDDAD」 トーマス・H・インス監督、ブロンコ社製作、ミューチュアル社配給。 かつて南北戦争に参加した祖父だが、飲酒を息子の嫁に責められて家を出ざるをえなくなる。養老院で働く祖父の元に可愛がっていた孫が現れ、祖父のことを両親に伝える。息子…

 キーストン社 ロスコー・アーバックルの作品 1913年

「FATTY JOINS THE FORCE」 キーストン社製作。ミューチュアル社配給。ロスコー・アーバックル主演。 キーストン時代のロスコー・ファッティ・アーバックル主演のコメディ。池に落ちた警察署長の娘を助けたことから、警官になったファッティ。だが、いたずら…

 キーストン社の作品 1913年(5)

「PEEPING PETE」 キーストン社製作 ミューチュアル社配給 監督・製作マック・セネット 出演フィリス・アレン ロスコー・アーバックル 西部のある街が舞台。女性を壁の穴から覗いていたピートが見つかり、追いかけられる。 キーストンと言えば、ドタバタであ…

 キーストン社の作品 1913年(4)

「MABEL'S DRAMATIC CAREER(メーベルの劇的な半生)」 アメリカ、キーストン社製作。ミューチュアル社配給。アメリカのスラップスティック映画の始祖であるマック・セネット製作の作品。看板女優だったメイベル・ノーマンドが主演。 メイドのメイベルに恋を…

 キーストン社の作品 1913年(3)

「BARNEY OLDFIELD'S RACE FOR A LIFE」 キーストン社製作。ミューチュアル社配給。アメリカのスラップスティック映画の始祖であるマック・セネット製作。 D・W・グリフィスといえば、マック・セネットの師匠である。この作品は、師匠であるグリフィスが得意…

 キーストン社の作品 1913年(2)

「A MUDDY ROMANCE」 アメリカ、キーストン社製作。ミューチュアル社配給。アメリカのスラップスティック映画の始祖であるマック・セネット製作。 ある男が、愛する女性と恋敵を間違えて泥を顔に塗りたくってしまう。女性は怒り、恋敵との結婚を決意。追いか…

 キーストン社の作品 1913年(1)

「BANGVILLE POLICE」 マック・セネットによるドタバタ喜劇で有名なキーストン社の作品。ミューチュアル社配給。主演は、後にキーストン時代のチャップリン映画の共演者としても活躍するメイベル・ノーマンド。 田舎町で牛を飼っている農家の1人娘が、2人…

 D・W・グリフィスの作品 1913年(4)

「THE MOTHERING HEART」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。ジェネラル・フィルム社配給。リリアン・ギッシュ主演。 リリアン・ギッシュが初めて単独主演した作品とも言われ、「母親を演じるには若すぎる」としたグリフィスに対して、オーディ…

 D・W・グリフィスの作品 1913年(3)

「DEATH'S MARATHON」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。ジェネラル・フィルム配給。 ビジネス・パートナー同士である2人の男性から求婚された女性は、その片方と結婚する。子供も生まれて幸せと思われた結婚生活だが、夫がギャンブルにはま…

 D・W・グリフィスの作品 1913年(2)

「THE HOUSE OF DARKNESS」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。ジェネラル・フィルム配給。 とある精神病院から1人の初老の患者が逃げ出す。興奮した患者はピストルを手に入れ、とある家に押し入り、そこに住む女性を脅す。しかし、偶然から…

 D・W・グリフィスの作品 1913年(1)

「THE MASSACRE(大虐殺)」 D・W・グリフィス監督作品。バイオグラフ社製作。ジェネラル・フィルム社配給 ネイティブ・アメリカンの村を襲う白人の軍隊。ネイティブ・アメリカンたちは復讐を決意し、西部へ向かう白人たちのワゴンを襲う。 西部劇の形式で、…

 エッサネイ社 「ブロンコ・ビリー」シリーズの作品 1913年

「THE MAKING OF BRONCHO BILLY」 エッサネイ社製作。ジェネラル・フィルム社配給。G・M・アンダーソン製作・監督・脚本・主演。 G・M・アンダーソンが主演して大人気を呼んだブロンコ・ビリー・シリーズの1つ。 西部の街にやってきたビリーは荒くれ者…

 ヴァイタグラフ社の作品 1913年

「THE COURAGE OF THE COMMONPLACE」 家事と農場での仕事の手伝いに忙しい農場の長女は、大学に通いたいと思い金を溜めている。ようやく大学に行ける時が近づいてくるも馬が病気になってしまい、家族は経済的に追い込まれる。長女は大学を諦め、学費に溜めて…

 ユニヴァーサルの作品 1913年

「ON TO WASHINGTON」 女性参政権の女性運動家たちがニューアークからワシントンへ行進した様子を撮影したニュース映像。

 ネスター・フィルム・カンパニーの作品 1913年

「THE GIRL RANCHERS」 製作国アメリカ ネスター・フィルム・カンパニー製作 ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー 監督アル・クリスティ 製作デイヴィッド・ホーズリー 出演リー・モラン、ステラ・アダムス、マリー・ウォールキ…

 THANHOUSER社の作品 1913年

「THE EVIDENCE OF THE FILM」 THANHOUSER製作 ミューチュアル・フィルム社配給 ある株のブローカーの男が、借金を催促する知人に対して、策を練る。男は使用人に札束の入った封筒を見せておきながら、メッセンジャー・ボーイが運んでいる途中にわざとぶつか…

 エジソン社の作品 1913年(4)

「ALL ON ACCOUNT OF A TRANSFER」 エジソン社製作、ジェネラル・フィルム社配給。 C.Jay.Williams監督作。 ドイツからニューヨークへやってきた男性は道が分からず、駅員から目的地が同じ1人の女性の後をつけていけばよいと言われる。その通りにするドイツ…

 エジソン社の作品 1913年(3)

「A SERENADE BY PROXY」 エジソン社製作、ジェネラル・フィルム社配給。 C.Jay.Williams監督。 恋人トーマスとの仲を父親によって裂かれたマリエルは、女中と牛乳屋の恋を応援し、駆け落ちを進める。駆け落ちの日、トーマスは駆け落ちの現場を泥棒と勘違い…

 エジソン社の作品 1913年(2)

「THE AMBASSADOR’S DAUGHTER」 エジソン社製作、ジェネラル・フィルム社配給。Charles Brabin監督。 大使に送られたてた重要な文書を、スパイが盗み出す。大使の娘はスパイの後を追い、文書を取り戻す。 文書の内容は関係ない。アルフレッド・ヒッチコック…

 エジソン社の作品 1913年(1)

「AT BEAR TRACK GULCH」 エジソン社製作、ジェネラル・フィルム社配給。Harold M. Shaw監督作。 舞台は西部。東部からやってきた若い女性のアリスにいろいろと世話をしてあげるジャック。アリスには東部に恋人がいるのだと思い込んでいるジャックは、アリス…

 フィルム・ダールが目ざした「芸術」

フィルム・ダールとは1907年にフランスで設立された映画製作会社のことである。「フィルム」とは映画のことであり、「ダール」とは芸術のことである。その名の通り、芸術的な映画の製作をフィルム・ダール社は目指した。 フィルム・ダール社が「芸術」と指…

 日本 輸入映画 1913年

この頃は、イタリアの史劇やヨーロッパの文芸作などが、輸入映画の中では人気を呼んでいた。主な輸入作品は次の通り。(イタリア) 「ファザー」「セビリアの理髪師」「サタン」「フィガロの婚礼」「クオ・ヴァディス」 (フランス) 「椿姫」 (イギリス) …

 日本 帰山教正と雑誌「キネマレコード」

後に映画監督として活躍する帰山教正がこの年、映画雑誌「フィルムレコード」を創刊している。内容は新作映画の批評や技術解説だった。後に「キネマレコード」と名称を変えて、1917年まで発行されることになる。 (映画本紹介) 日本映画の誕生 〜講座日…

 日本 小林喜三郎によるキネマカラー映画の興行

この年、日活を退社して常盤商会を設立していた小林喜三郎は、浅草キリン館でキネマカラーの興行を行っている。キネマカラーはイギリスのジョージ・アルバート・スミスが発明したもので、数本の短編が上映されている。キネマカラーは色彩を赤と緑に分類し、…

 日本 小映画界社の設立

日活の内紛の隙をつくように、様々な映画会社が設立され、日本の映画界は日活設立前のように、小映画会社が分立する様相を呈していた。 東洋商会は、福宝堂から日活の大阪支店に入ったが退社した山川吉太郎が起こした。吉沢商店にいた千葉吉蔵、小西亮の2人…

 日本 日活の内紛

向島撮影所が建設された日活だが、内紛が耐えなかった。吉沢派と横田派は暗闘を繰り返し、暗闘の激化を嫌う吉沢派が独立した。また、福宝堂系も独立し、一部エム・パテー系が残り、横田系が覇権を握っていった。このような内部分裂により重役陣が総辞職して…

 日本 日活向島撮影所の建設

前年(1912年)に誕生した日活は、当初吉沢商店の目黒撮影所と、横田商会の京都撮影所をそのまま使用していたが、能率的ではなかったため、新しく東京府下南葛飾郡隅田村の日活向島撮影所が建設されている。奥行9間、間口11間で太陽光線で撮影するため…

 映画への規制、検閲 1913年

映画の人気が高まり、人々の生活に密着していくのに比例して、各国では様々な形で映画への規制や検閲が行われるようになった。 イギリスではこの年、映画検閲委員会が発足し、映画を一般向けと成人向けに分けて公開するようになった。また、フランスでも最近…

 中国 チャン・シーチュアンとチョン・チョンチュウ

中国では、映画会社である亜細亜影戯公司の顧問だったチャン・シーチュアンが、演劇評論家のチョン・チョンチュウに協力を求め、新民公司を設立し、撮影を行った。亜細亜影戯公司が配給・興行を担当した。 新民公司は、1913年より製作を開始し、中国初の…