2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧
スペインでは、スペイン映画草創期から活躍するフランクトゥオッソ・ヘラベルトが、サルバトール・フィルムスで「悲劇のスペイン」(1918)製作している。 文芸作品の映画化の分野では、後にノーベル文学賞を受賞する劇作家のハシント・ベナベンテが監督…
スウェーデンではヴィクトル・シェーストレームが、愛し合う男女への嫉妬と偏見を描いた「生恋・死恋」(1917)を監督して、注目を集めた。 横暴な地主から妻を奪い取った主人公の男と妻が山にこもる。2人の間には子供が出来る。しかし、地主の復讐によ…
11月に第一次大戦終結が終結するも、国内の社会不安が高まっており、イタリアの映画界は新しい要求に応えられなかったという。さらには、フランス映画の発展、デンマークとドイツ映画という新興勢力、1916−17年にヨーロッパを襲ったアメリカ西部劇と…
イタリア映画の衰退はとどまるところを知らなかったが、ディーヴァ映画は作られていた。 カエザル・フィルムは、ベルティーニ・フィルムを子会社として設立している。スターによる初の製作プロダクションであり、イタリアのディヴィズモ(スター主義)隆盛に重…
エルンスト・ルビッチは1917年に設立されたウーファ社で長篇の映画監督として活躍していた。この年ルビッチは、エミール・ヤニングスとポーラ・ネグリが出演した、エジプトを舞台にした東洋趣味の探偵物メロドラマである「呪の眼」(1918)をヒットさ…
1918年11月、ドイツが降伏し、第一次大戦は終結した。ドイツ軍には戦う余力がなかったが、軍は国民にも国会にも報告していなかったという。そのため、人びとの間には、戦争に勝っているのに政治家の陰謀で降伏したと信じられていたと言われている。そ…
ジガ・ヴェルトフはキノネデリア(映画週刊誌)という名前のニュース映画を政府の依頼で製作している。1918年6月1日に第一号が封切られたが、1919年にはフィルム不足から不規則になり14号で終わりを迎える。ヴェルトフは、1917年11月から…
1917年にロシア革命が起こったソ連では、1918年に「5月1日プロレタリアの祭典」という短編ドキュメンタリーが公開されている。初めてスクリーンにレーニンが登場した作品といわれている。 この後、内戦の期間(1918−1920年)にかけては、…
フランスの映画製作は衰退していたが、次のような作品が製作されている。 アンドレ・アントワーヌは、ロマン派作品「海の労働者たち」(1918)を監督したが、アントワーヌが提唱していた自然主義は実践されていなかったといわれている。 アベル・ガンスは…
第一次大戦の勃発、ライバル(ハリウッド)の躍進などにより、フランスの映画製作は危機を迎えていた。かつて、世界の映画製作市場の覇者だったシャルル・パテ率いるパテ社も同様だった。パテは外国(特にアメリカ市場)に活路を見出していた。国外でも商品価…
後に国民的スターとなるウィル・ロジャースが、ミュージック・ホールでの芸人からハル・ローチの短編映画で映画デビューしている。 かつて「ブロンコ・ビリー」シリーズに主演し、西部劇のトップ・スターとして活躍したギルバート・M・アンダーソンは1916…
ロシア出身の舞台役者で1916年より映画にも出演していたアラ・ナジモヴァは、「運命の玩具」(1918)やイタリアから来たアルベール・カペラーニ監督作「剱の舞」(1918)などに出演している。 ポーリン・フレデリックは「パリの幾夜」「トスカ」…
メアリー・ピックフォードは、「闇に住む女」(1918)に出演している。天使のような不具の少女ステラと、ひねくれ女中の二役を演じている。少女役で人気を得ていたピックフォードにはおとなびた役を演じたいという思いがあった。そこで、イメージを変える…
この年、エーリッヒ・フォン・シュトロハイムが、連合国側のプロパガンダ映画「不信心者(THE UNBELIEVER)」(1918)で反感をそそる役を演じてスターとなっている。1914年にロサンゼルスにやってきたシュトロハイムはエキストラの仕事を見つけ、「…
「チート」(1915)のヒットにより、ハリウッドのトップ俳優の1人となっていた日本人の早川雪洲は、1918年にパラマウントから独立し、自分のプロダクションであるHaworth Pictures(ハウアス・ピクチャーズ)を設立している。1922年に解散するま…
パラマウント系のアートクラフト社で活躍していた監督のモーリス・トゥルヌールは、極端に様式化されたセットで撮影された「青い鳥」や、ロンドンの霧が効果的で、夜の奥行きを見事に表現した「スポーツ生活」(1918)を監督している。さらには、独自の…
「歴史物」に活路を見出していたセシル・B・デミルだったが、製作費が歴史物ほどかからずに利益が見込める社交界を描いた現代物の製作を会社側がデミルに命じ、デミルはセックス・アピールたっぷりの作品を多く製作していく。この年は、浮気への誘惑を描いた…
後にMGMの大物として活躍することになるルイス・B・メイヤーが、1918年に映画界製作に乗り出している。 貧しい幼少時代を過ごしたメイヤーは、ボストンを拠点に配給業を行っていた。D・W・グリフィスの「国民の創生」(1915)や、セシル・B・デ…
チャールズ・チャップリンの模倣者として有名だったビリー・ウェストは、「HE'S IN AGAIN」(1918)といった作品に出演している。 後にオリヴァー・ハーディと組んで世界的な人気を得るスタン・ローレルは、単独主演の短編「JUST RAMBLING ALONG」(19…
この年公開された映画に「ミッキー」(1918)という作品がある。製作したマック・セネットの回想録によると、「ミッキー」は、セネットから主演のメイベル・ノーマンドへの恋の記念品のようなものなのだという。 セネットとメイベルの2人は、何度か結婚…
サイレント時代の三大喜劇王と言われたのが、チャールズ・チャップリン、バスター・キートン、ハロルド・ロイドだ。 ロイドはまだ個性を発揮してはいなかったが、「二挺拳銃」「猛進結婚」「THE CITY SLICKER」「ARE CROOKS DISHONEST?」(1918)といった…
ミルドレッド・ハリスとの結婚で私生活が慌しかったチャップリンだったが、「犬の生活」(1918)と「担え銃」(1918)を監督している。 「犬の生活」は、メランコリックな放浪者を具体化した作品で、大男と小男、金持ちと貧乏人といった対比が特徴的…
ファースト・ナショナル社で映画製作を続けていたチャールズ・チャップリンは、1918年にミルドレッド・ハリスと結婚している。当時29歳だったチャップリンは、サミュエル・ゴールドウィンが開いた海辺のパーティで16歳の女優だったミルドレッド・ハリス…
D・W・グリフィスが愛国的な作品を製作したほかにも、当時のアメリカ映画では愛国的な戦争映画が多く作られた。 「ドイツでの私の四年間」(1918)は、元ベルリン駐在アメリカ大使の回想録を映画化したプロパガンダ映画である。ワーナーが配給し、独立…
「世界の心」で注目を集めたD・W・グリフィスだったが、パラマウント系のアートクラフト社のために映画を製作しており、映画作品の権利も会社に譲渡していた。その代わりにグリフィスは、1本あたり25万ドルと興行収益のかなりの割合を報酬として得てい…
ともあれD・W・グリフィスは、イギリスの首相ロイド=ジョージからの依頼を受け、プロパガンダ映画「世界の心」の監督をすることになった。リリアン・ギッシュらの出演俳優たちは撮影のために渡欧した。渡欧の際は、国務省が準備してくれた船で向かったが…
1916年に「イントレランス」を製作し、1人の人間による映画製作の頂点を極め、かつ限界を露呈し、多額の借金を背負ったD・W・グリフィスは、パラマウント系であるアートクラフト社と契約した。グリフィスがかつて所属していたトライアングル社が清算さ…
アメリカの映画産業は世界市場を独占する勢いで発展していたが、その中心はハリウッドだった。ハリウッドは、「映画の都」「スターの都」として発展していった。 カリフォルニアの地理的な距離はプラスに働き、遠くに旅をして仕事をすることは「格好のいいこ…