2008-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 エッサネイ時代のチャップリンの作品「チャップリンの改悟(チャップリンの改心)」

刑務所から出所してきたチャーリーだが、金もなければ職もない。偶然、ムショ仲間と再会したチャーリーは、仲間の誘いで強盗をすることに。盗みに入った家で、エドナと出会う。エドナは2階には病気の母がいるから2階にだけは行かないで欲しいという。それ…

 エッサネイ時代のチャップリンの作品「チャップリンのカルメン」

「カルメン」のパロディ作品。チャップリンはドン・ホセを演じ、エドナ・パーヴィアンスがカルメンを演じる。 1915年公開のセシル・B・デミルによる「カルメン」のヒットから企画されたもの。セットやストーリー展開など驚くほどデミルの「カルメン」そ…

 映画評「イントレランス」

D・W・グリフィス監督による「イントレランス」は、後世にまで語り継がれるに足る壮大さを保持した映画である。そのストーリー、そのセット、その裏話、その技術・・・様々な面で壮大な映画である。 グリフィスによる前作「国民の創生」(1915)は、興…

 トマス・H・インス 映画製作を変えた男

トマス・H・インスの名前は映画史において一級品であるが、超一級品ではない。同時期に活躍した監督であるD・W・グリフィスが超一級品であるの比較すると、なぜインスの名前が一級品どまりなのかが見えてくる。 答えは簡単だ。インスには代表作がないのだ…

 日本 政府による記録映画製作

教育、宣伝を目的とした映画製作は「社会パック活動写真」(1906年、明治39年)など以前から行われていた。鉄道院が吉沢商店に依頼して、観光宣伝に東海道線の風景を撮影したものなどもあった。この年、海軍省が、海兵募集の宣伝映画(「海軍生活実写…

 日本 政府による推薦映画制度

政府では、教育上有効と認定した映画を保護奨励し、俗悪と判断された活動弁士の教養を向上させたりといった活動を行っていた。 1916年(大正5年)には、「クオレ」(イタリア)が推薦教育映画として初めて推薦されている。日活が浅草電気館で興行し、学…

 日本 プログラムの誕生

輸入映画が増え、新しい製作会社や人気俳優が増えると、詳しく知りたい人のために映画雑誌が創刊された。 一方、映画館では、それまで上映映画を黒板にチョークで描いていたが、印刷したプログラムに解説やあらすじを記入して、観客に渡すようになった。この…

 ブルーバード映画の日本での人気

輸入されたユニヴァーサル映画の中で、「ブルーバード映画」と呼ばれた作品が日本では人気を呼んだ。「ブルーバード映画」とは、ユニヴァーサルの1プロダクションであるブルーバード映画社製作映画の総称であり、中でも連続活劇が日本で好評を得た。明るい…

 日本 播磨ユニヴァーサル商会

この年、外国映画の輸入を行っていたハリマ商会の播磨勝太郎が、シンガポールで知り合ったユニヴァーサルのトム・コクレンと提携し、播磨ユニヴァーサル商会を設立している。ユニヴァーサルの作品は、7月1日から播磨ユニヴァーサル商会を通して配給される…

 日本 輸入映画 1916年

「暗黒街」「戦争か滅亡か」(アメリカ) 「カビリア」「詩人と女」(イタリア)といった映画が公開されている。 また、この頃になると、超大作の公開の際には、大劇場を特別に借りて高価な入場料で特別封切りとして興行が行われた。天活から独立した小林商…

 日本 連鎖劇の人気と、山川、小林の天活退社

映画と舞台を組み合わせた連鎖劇は人気を得て、1916年(大正5年)には天活の大阪方面の経営を担当していた山川吉太郎は大阪市外小坂に撮影所を新しく竣工し、連鎖劇に専念するようになった。一方で、天活の関東方面の経営を担当していた小林喜三郎も関…

 「映画」を確立した独立系映画会社

映画草創期の1910年代のアメリカ映画界において、独立系映画会社というと、エジソン社を中心とした映画会社のカルテルだったMPPCに所属していない映画会社のことを指す。 独立系映画会社の代表的な社名と、それぞれを率いた人物名を挙げてみよう。フ…

 フィンランド、スペイン、オーストラリア・・・その他 1916年

フィンランドでは、1904年から1916年の間にかけて、劇映画28本と短編映画312本が製作されたと言われている。この数字には輸出はほとんどなく、国内マーケットのみであり、そう考えると多い数字である。 そんなフィンランドは1917年の独立(…

 デンマーク映画 クリステンセンの活躍

第一次大戦の影響により、ドイツ以外の外国の顧客を失ったデンマーク映画は、ホルガー=マッセンによる「永遠の平和」(1916)といったトマス・H・インスの「シヴィリゼーション」(1916)の影響を受けた平和を歌った映画がノーディスク社によって…

 スウェーデン映画 ヴィクトール・ベルイダールの先駆的なアニメ映画

スウェーデンでは、先駆的なアニメが作られたといわれている。中心人物は、ヴィクトール・ベルイダールという人物である。ベルイダールは、海洋画家・風俗漫画家として活躍した人物で、1915年に初の作品である短編「化物酒」をしている。 ベルイダールの…

 スウェーデン映画 スティルレルの成功

スウェーデンではモーリッツ・スティルレルが喜劇の面で個性を発揮していた。 「プリマ・バレリーナ」(1916)で初めて国際的に成功を収めたスティルレルは、「恋とジャーナリズム」(1916)という1930年代から40年代にかけてのアメリカ映画と…

 ドイツ映画 1916年に製作された作品

この年ドイツで製作された映画には次のような作品がある。 「ホムンクルス」(1916)は幻想的な連続劇で、何千人もの奴隷を動かす魔的な力を与えられた超人を描き、成功を収めた。 前年(1915年)、「恐怖の夜」(1915)で初めて大役を得たエミ…

 ドイツ映画 映画界の再編成

第一次大戦の影響を受け、一時混乱に陥ったドイツ映画だが、再組織化され映画製作行われた。ドイツの映画界の再編成において特色といえるのは、政府の指導のもとに強引に行われたという点だろう。 この年、クルップを始めとする大会社の出資で、ドイツ・リヒ…

 イギリス映画 アメリカからのブロック・ブッキングの圧力

製作が停滞気味だったイギリスに、アメリカからブロック・ブッキングの圧力がかかってきた。当時イギリスは世界二位の映画市場を有しており、そんなイギリスにハリウッドの大手が目を向けた形である。トライアングル社(解散後は、パラマウント社)が特に大…

 イギリス映画 第一次大戦と映画製作

イギリスでは、1914年から15年にかけて、戦争映画、戦意高揚映画が作られていたが、戦争の長期化により、人材難、物資難が顕著となり、閉鎖する撮影所が続出した。 映画製作者のウィル・C・バーカーも会社をたたみ、ラルフ・テニスン・ジュップが19…

 ロシア映画 その他 1916年

「クレショフ効果」で有名なレフ・クレショフが、17歳でハンジョンコフ撮影所に採用され、エフゲーニ・パウエルの美術担当となり、パウエルが事故死したために「幸福を求めて」を完成させている。この後、ボリス・チャイコフスキーの美術を担当するが、チ…

 ロシア映画 繁栄した映画製作

ロシアでは、戦争にも関わらず映画製作は繁栄し、1916年には499本に達する作品が製作されている。 ヤーコフ・プロタザーノフは、プーシキン原作の「スペードの女王」(1916)を監督している。当時頭角を現してきていたイヴァン・モジューヒンが主…

 フランスの連続活劇 

フランスでは、連続活劇の名手と言われたルイ・フイヤードにより「ジュデックス」(1916−1917)が製作されている。「ジュデックス」は、「ドラルー(LES VAMPIRES)」(1915−16)に向けられた批判から、勧善懲悪的な探偵の美徳を賛美する映画と…