2009-03-01から1ヶ月間の記事一覧

 ソ連で製作された映画 1919年

国家による映画製作が行われるようになっていたソ連では、1919年に13本の劇映画を製作することが出来た。内容は赤軍やロシア革命の正当性を表現したものだったが、技術的にはプリミティヴであったという。一方、かつてのロシアの映画人たちは国外に亡…

 ソ連政府による映画の誕生

1919年8月27日、レーニンはソビエト政府による映画の誕生を決議する政令に署名し、すべては人民教育委員会の管轄下に置かれるようになった。映画の国有化宣言である。レーニンは、幅広い娯楽映画の輸入公開を許し、諸外国も市場拡大のため自国のソビ…

 イタリアにおける映画製作会社の集中

かつてスペクタクル映画で世界を席巻したイタリア映画は、この頃にはかつての勢いを失っていた。 そんなイタリア映画界においての1919年の大きな出来事というと、イタリアの有力な銀行が出資によってイタリアの映画製作会社を集めて設立された「イタリア…

 デンマークにおけるカール・ドライヤーの監督デビュー

かつての栄光を失っていたデンマークでは、A・W・サンベア監督が、チャールズ・ディケンズ原作の「親友」(1919)を監督し、イギリスで興行的に大成功を収めたという。 デンマークでは、後に世界的な名声を得る人物が監督デビューを果たしている。その…

 スウェーデン モーリッツ・スティルレルの「吹雪の夜」

喜劇の分野で活躍していた監督のモーリッツ・スティルレルは、セルマ・ラーゲルレーヴの小説の映画化で、16世紀を舞台とした歴史劇である「吹雪の夜」(1919)を監督している。 陰謀の罪で投獄された3人が雪の日に逃走し、人里離れた家に逃げる。主人…

 その他のドイツ映画 1920年

1920年代に、ドイツでは実験的な作品が数多く創られていくことになる。非具象的な映像が画面に展開する映画群は、「絶対映画」と呼ばれた。そんな絶対映画のさきがけともいえるワルター・ルットマンの「映画作品1」(1919−1921)がこの年から製…

 ドイツの検閲廃止の影響

ドイツでは第一次大戦中に検閲が行われていたが、1918年に廃止になっている。そのために、エロティックな映画が製作されるようになり、反対運動が起こっていた。反対運動から身を守るために、ウーファなどの大会社は1919年以降自主検閲を行うように…

 ドイツの大作史劇が、イタリアのお株を奪う

ドイツでは、「カルメン」(1918)あたりから、大作が多く作られるようになっていた。「パッション」(1919)、「フィレンツェのペスト」(1919)といった作品が該当する。かつてのイタリア史劇は、ドイツの大セット撮影によってお株を奪われる…

 ドイツ F・W・ムルナウの監督デビュー

後に「最後の人」(1924)などを監督し、映画史に名を残すF・W・ムルナウが、ハンス・ヤノウィッツ脚本の反軍国主義映画「青の少年」(1919)で監督デビューを果たしている。 ムルナウは、子供の頃から演劇に熱中し、マックス・ラインハルトの下で…

 ドイツ フリッツ・ラングの快進撃「蜘蛛」「ハラキリ」

初監督後のラングは、ベルリンで自身の会社を立ち上げていたヨーエ・マイの「世界に鳴る女」シリーズに協力した。その後、冒険映画である「蜘蛛」二部作(1919、1920)も監督している。「世界に鳴る女」シリーズは大掛かりな冒険映画であり、「蜘蛛…

 ドイツ フリッツ・ラングが監督デビュー

ベルリンのデクラ社に入社していたフリッツ・ラングは、オットー・リッペルト監督の「死の舞踏」「蘭を抱く女性」「フィレンツェのペスト」(1919)や、「乞食会社」「リリトとリュ」「復讐は我にあり」(1919)と多くの脚本を執筆した。 「フィレン…

 ドイツ エルンスト・ルビッチの史劇について

岡田晋は「ドイツ映画史」の中で、ルビッチの史劇が、歴史と現実のコントラストを通して、ドイツ映画の精神的状況を浮き彫りにしていると指摘している。当時のドイツ国内には、敗戦による政治的混乱、社会的不安が見られたが、そういった要素を映画に反映さ…

 ドイツ 「パッション」とエルンスト・ルビッチの活躍

ドイツでは、エルンスト・ルビッチが、脚本ハンス・クレーリや美術クルト・リヒターらの協力で「パッション」(1919)を監督している。 フランスのルイ15世の愛人として有名なマダム・デュバリーにヒントを得た作品だった。 ルイ十五世の愛人デュバリー…

 その他のフランス映画 1919年

著名な劇作家のトリスタン・ベルナールと協力しながら映画を製作していたジャック・フェデーは、「綴りの誤り」(1919)という作品を監督している。綴りを誤った事務員が、直すために会社に忍び込むという内容の作品である。この作品は、フェデーとベルナ…

 フランス アベル・ガンスのさらなる活躍

活躍を続けていたアベル・ガンスは、反戦映画「戦争と平和」(1919)を監督している。パテ社と陸軍写真映画部が製作費を出費したこの作品は、1917年夏から撮影されていたが、撮影が中断していた。 塹壕にいるキリストに呼び起こされた戦死者が墓場か…

 フランス マルセル・レルビエが本領発揮

1918年に「幻想」で監督デビューを果たしたマルセル・レルビエは、長編第一作となるゴーモン社によるメロドラマ大作「ローズ・フランス」(1919)を監督している。この作品は、この後多くの作品でコンビを組んでいくジャック・カトランを主演に監督し…

 カナダ 初期長編映画「BACK TO GOD'S COUNTRY」

またカナダでは、ネル・シップマン主演の「BACK TO GOD'S COUNTRY」(1919)が作られている。カナダで作られた初期の長編映画で、雄大な自然を背景に勧善懲悪の物語が展開される。映画は語る作者: 淀川長治,山田宏一出版社/メーカー: 中央公論新社発売日…

 そのほかのアメリカ映画 1919年

1月にはアメリカ撮影監督協会(ASC)が設立されている。 独立プロを設立して自らが主演する映画を製作していた早川雪洲は、ラブ・ロマンスである「明暗の人」(1919)が絶賛されたといわれる。 ジョージ・メルフォード監督は、登場人物が「青春」「良…

 スター俳優たちの活躍 1919年

スポーツ的な青春劇で人気が爆発していたウォーレス・リードは、ジェームズ・クルーズ監督で「巨人の谷」「疾風の如くに」(1919)などに出演していた。 舞台ですでに名を上げていたジョン・バリモアは、「HERE COMES THE BRIDE」「試練」(1919)で本…

 ウィリス・H・オブライエンの出世作

後に、「キング・コング」(1933)でコングの動きをストップモーション・アニメで表現し、「ストップモーション・アニメの父」と言われるウィリス・H・オブライエンが、約10分の「THE GHOST OF SLUMBER MOUNTAIN」(1919)を製作している。 エジソン…

 エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの監督デビュー

エーリッヒ・フォン・シュトロハイムは、「アルプス颪」(1919)で監督デビューを果たしている。また、シュトロハイムは、主演と脚本も努めている。 ドロミテを休暇で訪れたアメリカ人の医師夫婦にオーストリア軍将校が近づき、夫を魅了し、妻を誘惑する…

 ノン・スター映画「ミラクルマン」の成功

ハリウッドではスターが中心としたスター・システムがほぼ確立されていた。ユナイテッド・アーティスツを設立したメアリー・ピックフォードやダグラス・フェアバンクス、チャールズ・チャップリンといったスターたちは、すさまじい成功を収めていた。 そんな中、…

 アラ・ナジモヴァの活躍

アラ・ナジモヴァはメトロ社で売り出された女優で、当時人気を集めていた。クリミアのヤルタ生まれのナジモヴァは、当時40歳代だった。 フランスで文芸的な作品を製作していた会社であるスカグル社にかつて所属していたアルベール・カペラーニが演出した「…

 奇術師 ハリー・フーディーニと映画

当時、世界的に有名だったアメリカの奇術師にハリー・フーディーニという人物がいた。フーディーニの得意な奇術は「脱出」だった。現在でもよく行われている、縛られた状態からの脱出である。 すでに奇術師としての名声を得ていたフーディーニは、1919年…

 アドルフ・ズーカーの映画館拡大路線

映画興行会社のパラマウントのボスだったアドルフ・ズーカーは、パラマウント・グループの映画会社が製作した作品の上映を希望する映画館は、すべてのパラマウント・グループの映画の上映を引き受けなければならないという「ブロック・ブッキング方式」を採用…

 ヴァンプの失墜とデミル映画の亜流たち

セシル・B・デミル流のセックス・アピール映画が流行する一方で、セダ・バラ主演の「愚者ありき」(1915)のブームによって誕生したヴァンプは、失墜を迎えていた。理由としては、観客の目が肥え、きちんとした動機がないと納得せずに嘲笑を呼ぶようにな…

 ジョルジュ・サドゥールのセシル・B・デミル評

この頃のデミルの作品についてジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。 「デミルのもとでは、時には熱狂に、<彼の観客>の気に入られるよう入念に計算された熱狂に達する極端さがあった。『聖書、性そして血が、それらに必要なものである』と、彼は…

 セシル・B・デミルとグロリア・スワンソンのセックス・アピール映画

セシル・B・デミルはこの年、グロリア・スワンソン主演のセックス・アピールを売り物にした作品「夫を変える勿れ」を監督している。 主演のスワンソンは1918年にウォーレス・ビアリーと離婚していたが、1919年に映画配給会社の社長のハーバート・ソンボ…

 コメディの世界 1919年

マック・セネットの元からゴールドウィン社に移籍していたメイベル・ノーマンドは、「ジンクス」(1919)などに出演している。そのマック・セネットは、「戦争ごっこ」(1919)を製作している。 コメディ映画のプロデューサーであるアル・クリスティは、…

 ハロルド・ロイドの活躍

ハロルド・ロイドは、ハル・ローチの元で短編コメディに出演していた。 「ロイドのスケート」「JUST NEIGHBORS」「BUMPING INTO BROADWAY」「PAY YOUR DUES」「ASK FATHER」「BILLY BLAZES, ESQ」「CAPTAIN KIDD'S KIDS」「FROM HAND TO MOUTH」(1919)と…