2009-07-01から1ヶ月間の記事一覧

 ドイツ フリッツ・ラング ヨーエ・マイ・カンパニーでの仕事

前年に映画監督デビューを果たしたフリッツ・ラングは、脚本家・監督としてヨーエ・マイ・カンパニーと契約した。ここでラングは、テア・フォン・ハルボウと共同で「神秘の影」の脚本を書いた。ラングは監督もしたがったが、大作を扱うには経験不足とマイに却…

 表現主義が生み出したドイツ映画のスタイル

表現主義はドイツ映画に1つのスタイルを与えたといわれている。それは、建築的・絵画的造形性である。「カリガリ博士」以後、多くの画家・建築家・セットデザイナーの協力を得てドイツ映画の画面は作られるようになり、フレームの中の秩序を重視し、セットを…

 「カリガリ博士」以外の表現主義映画

「ゲニーネ」は「カリガリ博士」と同じくカール・マイヤーのシナリオ、ロベルト・ヴィーネの監督に加えて、有名な表現派の画家セザール・クラインがセットを担当し、人気女優フェルン・アンドラが主役した。会社が始めから商業的理由で表現主義であることを意…

 ドイツ 「カリガリ博士」の評価

ジョルジュ・サドゥールは「カリガリ博士」について次のように書いている。 「カリガリは、ただ一本の映画によって創造された最初の悲劇的人物であった。彼は人間というよりも、ある精神状態であり、残忍さと不安の、幻想的なものと狂乱の混合である。この名…

 「カリガリ博士」 表現主義映画の代表作

「カリガリ博士」の脚本を執筆したのは、カール・マイヤーとハンス・ヤノヴィッツの2人である。マイヤーはドイツ無声映画の中で最も個性の強い人物とも言われる。マイヤーは徴兵を避けるために、精神病を装ったこともあったという。シナリオの発案はヤノヴ…

 ドイツ 表現主義の影響が映画へ

表現主義とは、内面や感情を表現するために、現実とは違った形で表現する方法のことである。特に不安や葛藤などが表現されることが多かったという。 表現主義の説明については、イギリスの美術史家ハーバート・リードの解説がわかりやすい。 「表現主義は、…

 フランス映画界の停滞

フランス映画界は停滞していた。第一次大戦によって映画製作が停滞していた時期に、国際市場のシェアをアメリカに奪われたこともある(1920年に上映された映画の80%以上は、アメリカ映画だったという)。また、国内市場が成熟しなかったということも…

 その他のフランス映画作品 1920年

第一次大戦前から映画監督として活躍していたジョルジュ=アンドレ・ラクロワが、1920年7月に急死している。遺作はイタリアのイタラ社で監督した「情熱的に」(1920)だった。 ゴーモン社で監督として活躍していたレオン・ポワリエは、「考える人」…

 フランス印象主義派の活躍

ルイ・デリュックが提唱したフォトジェニー論に影響を受けた1920年代のフランス映画のことを総称して、フランス印象主義という。より具体的には、アベル・ガンス、マルセル・レルビエ、ジェルメーヌ・デュラック、ジャン・エプスタンといった人々による作…

 フランス ルイ・デリュックによる「フォトジェニー論」

フランスのルイ・デリュックは、著書「フォトジェニー」の中でフォトジェニー論を唱えて、注目を集めている。 この「フォトジェニー」について少し詳しく書いておきたい。定義すると、「映画の本質や特質を規定する概念で、映画特有の映像美や美的効果といっ…

 その他のアメリカ映画 1920年

かつて1巻物のコメディを製作して一斉を風靡したマック・セネットは、長編コメディである「野良に出て」「結婚生活」(1920)を製作している。 トマス・H・インスの元で育ち、パラマウントの監督なったフランク・ボーゼージは「ユーモレスク」(1920…

 大スターたちの独立プロダクション

アラ・ナジモヴァは1920年当時、メトロ社ですでにスターとなっていた女優である。だが、やりたくない題材を押し付けられていたためにメトロ社を退社する。退社したナジモヴァは自ら映画制作に乗り出し、「孔雀婦人」「億万長者」(1920)を製作する…

 「狂へる悪魔」 ジョン・バリモアの名演技

ジョン・バリモア主演の「狂へる悪魔」(1920)は、ロバート・スティーブンソン原作の「ジキル博士とハイド氏」の映画化である。眉目秀麗なバリモアが凶暴なハイドへと変身する際の、髪を振り乱し、歯をむき出し、指が異常に長くなり、皮膚も黒ずむメイク…

 トッド・ブラウニングとロン・チャニーの「法の外」

後に問題作「フリークス」(1932)を監督するトッド・ブラウニングは、「法の外」(1920)を監督している。この後、コンビを組んでいくことになる役者ロン・チャニーも出演している。 「トッド」とはドイツ語で死を意味する言葉だが、本名ではない。本…

 エリナー・グリンのハリウッド入り

1920年代に、スターの鑑定家として、ハリウッドに多大な影響力を与えることになるエリナー・グリンが1920年にライターとしてパラマウントに招かれている。 当時50代の半ばだったグリンは、当時としては大胆な内容で評判を呼んだ恋愛小説「三週間」…

 アーヴィング・サルバーグ、ダリル・ザナックがハリウッドへ

後の大物プロデューサー2人が、ハリウッドへやってきている。 1918年にユニヴァーサルのニューヨーク本社へ入社していたアーヴィング・サルバーグは、1920年にハリウッドの撮影所ユニヴァーサル・スタジオに移ってきている。サルバーグは徐々に頭角を…

 奇術師フーディーニの映画

1919年から本格的に映画に出演するようになっていた、世界的に有名だった奇術師であるハリー・フーディーニは、「恐怖島(Terror Island)」(1920)に出演している。 「恐怖島(Terror Island)」(1920)は、潜水艦を発明したフーディーニ演じ…

 監督モーリス・トゥルヌールの活躍

この頃には巨匠となり、D・W・グリフィス、トマス・H・インスに次いでハリウッドで3番目に尊敬される監督とも言われたモーリス・トゥルヌールは、フェニモア・クーパー原作の映画化作品である「モヒカン族の最後」(1920)を監督し、映像美豊かに仕上げ…

 ウィリアム・S・ハートが人気の絶頂に

1920年当時、西部劇で人気を得ていたウィリアム・S・ハートは人気の絶頂にあったという。当時のハートの人気はダグラス・フェアバンクスをもしのいでいたと言われている。 そんなハートは1920年から1921年にかけて、パラマウント=アートクラフ…

 バスター・キートンが語る当時のコメディ作り

当時はチャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイド、バスター・キートンの映画は、その他のジャンルの人気スター主演映画より上だった(ちなみに、チャップリンとロイドは自分の作品の権利を押さえて後年も財産を稼いだが、キートンはずっと現役でいられる…

 「馬鹿息子」 バスター・キートンの初長編

キートンが製作した作品は2巻(約30分)の短編がほとんどだったが、メトロ社の企画で「馬鹿息子」(1920)というキートン主演の長編も作られている。当時大スターでも5巻物がせいぜいだったが、7巻物で製作され、1920年のメトロ社の最大のヒッ…

 バスター・キートンの単独主演がスタート

1917年よりロスコー・ファッティ・アーバックル映画の助演として活躍していたバスター・キートンは、この年から自身主演の短編喜劇の製作を始めている。アーバックルはジョゼフ・スケンクが製作を担当するコミック社で喜劇を製作していたのだが、1919年…

 グロリア・スワンソン 「100万ドルを使った最初の女優」

セシル・B・デミルは、映画の中のグロリア・スワンソンを美しい邸宅に住まわせ、浴室の場面などではタオルで巧妙に身体を隠して、肢体を見せた。さらにスタジオに衣装部をもうけ、スワンソンには最新のモードを身に着けさせた。スターにふさわしい最新モー…

 セシル・B・デミルとグロリア・スワンソンのコンビ作

セシル・B・デミル監督とグロリア・スワンソンのコンビによるセックス・アピール映画は、この年も「何故妻を換える?」「人間苦」(1920)といった作品が製作されている。 「何故妻を換える?」は、妻が家庭に収まって落ち着いてしまったことを不満に思っ…

 リリアン・ギッシュ唯一の監督作

リリアン・ギッシュに監督作があることはほとんど知られていないが、唯一の監督作が1920年に作られている。 D・W・グリフィスがリリアンに進めたという唯一の監督作品は、リリアンの妹であるドロシー・ギッシュ主演のコメディで、タイトルは「亭主改造」…

 リチャード・バーセルメス 親切で単純なアメリカの田舎青年

「東への道」の中で、リリアン・ギッシュとともに触れなければならない人物は、リチャード・バーセルメスだろう。親切で単純なアメリカの田舎青年という役柄を演じたバーセルメスは、以後もこの役柄を代名詞にスターとなっていく。そんなバーセルメスはD・W…

 「東への道」のリリアン・ギッシュ セックスさえも純化した愛に

D・W・グリフィスとリリアン・ギッシュのコンビ作を見ていくと、リリアン・ギッシュが果たしている役割がどんどん大きくなっていくのが分かる。「東への道」のリリアン・ギッシュの演技については、アレキザンダー・ウォーカーが「スターダム」の中で次のよう…

 D・W・グリフィス 「東への道」と映画への情熱

失敗作が続いていたD・W・グリフィスは、ある舞台用メロドラマの映画化権を購入していた。その金額は約17万ドルで、「国民の創生」(1915)の製作費の金額を上回っていた。リリアン・ギッシュは古臭い内容のメロドラマと思い、関係者の誰もがグリフィ…

 D・W・グリフィスの失敗作 「渇仰の舞姫」「愛の花」

巨匠D・W・グリフィスは「渇仰の舞姫」(1920)と「愛の花」(1920)を監督している。 「渇仰の舞姫」はリチャード・バーセルメス主演の作品である。酔っ払いと牧師がバハマで混血娘と恋に落ちる物語だった。「愛の花」もバーセルメス主演で、ヒロ…

 ピックフェアの活躍 ダグラス・フェアバンクス

それまで現代劇を中心に出演してきたダグラス・フェアバンクスは、「奇傑ゾロ」(1920)を製作・出演している。後の覆面ヒーローものの原型ともいうべき娯楽アクションで、フェアバンクスは圧制を打破する若者役を演じている。監督のフレッド・ニブロは、…