2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧

 映画と環境

私は学生時代に映画館でバイトをしていた。「ハムナプトラ」(1999)の上映が終わった後、1人のおじさんが帰り際に私に言った。「映画館で見るような映画じゃないな。映像も音響も家で見た方が、迫力がある」と。 今の私の家には大画面の液晶テレビにブ…

 時代劇が日本映画の重要なジャンルとなったわけ

ジェダイは、「スター・ウォーズ」シリーズに登場する宇宙の平和を守る人々の総称である。ジェダイの騎士たちの武器は、ライト・セーバーと呼ばれる光線剣だ。「スター・ウォーズ」(1977)の爆発的なヒットの理由に、様々な娯楽映画の要素をSFに付け…

 無自覚だった男 ロスコー・アーバックル事件

無自覚な人がいる。ある会社の管理職、会社からは強いリーダーシップで部下たちを率い、部下たちからは会社と自分たちの架け橋になることを期待されている。しかし、当の本人にあまり自覚はない。部下たちと一緒に会社のグチをいったりしてしまう。でも、仕…

 変化するグッド・バッド・マン ウィリアム・S・ハート

脚本(シナリオ)の書き方を指南してくれる本は、多く発売されている。その中で強調されていることに、主人公に「変化」が必要であるという点がある。特にハリウッド流の脚本術を教えてくれる本では、強く書かれていることが多い。 1910年代は、映画がス…

 日本 皇太子の渡欧と早川雪洲らの来日

この年は、日比谷公園などで「皇太子殿下御渡欧映画」が公開された年でもある。皇太子(後の昭和天皇)の渡欧に際し、日活向島撮影所のカメラマンが同行し撮影したが、それは後で編集することになっていた。日活とは別に、毎日新聞社がゴーモン社のカメラマ…

 日本 記録映画、ニュース映画、アニメ映画 1921年

記録映画としては「日本アルプス横断」(1921)といった作品が作られている。 ニュース映画の分野では、岡本洋行が「シノグラフ」の名でニュース映画を製作するが、中止されている。 アニメを製作していた天然色活動写真(天活)に所属していた北山清三…

 日本 映画に対する規制

1921年、東京では警視庁による「興行場及興行取締規則」が制定されている。警視庁は、1917年に活動写真興行取締規則を制定していたが、これに代わる規則だった。 規則は、演劇、寄席なども一括して扱ったものであり、映画と演劇の脚本は同一規定にお…

 日本 文部省の映画施策−1921年

人々への影響力が大きくなった映画に対して、文部省はいくつかの施策を行っている。 文部省によって、映画の芸術的価値や映画説明の社会に及ぼす感化を弁士たちに説明するために、「活動写真説明者講習会」が開催されている。 また、映画文化に対する人びと…

 日本 輸入映画−1921年

1921年には次のような外国映画が日本で公開されている。「悪魔の合鍵」「狂へる悪魔」「幸福の谷」「サロメ」「怒髪天を衝いて」「ミラクルマン」「キッド」「モヒカン族の最後」「懐かしの泉」「奇傑ゾロ」「三銃士」「涙の船唄」(アメリカ)「呪の眼…