2011-01-01から1ヶ月間の記事一覧
後に「戦艦ポチョムキン」(1925)を監督するセルゲイ・エイゼイシュテインが、舞台から映画界入りしたのもこの年である。フリッツ・ラング監督の「ドクトル・マブゼ」(1922)のソ連版再編集の仕事で、エイゼンシュテインは初めて本格的な映画の仕…
ソ連では、ジガ・ヴェルトフによるドキュメンタリー「キノ・プラウダ(真実)」シリーズ(1922〜1925)が開始されている。全部で23号が作られた。 ヴェルトフは、隠された真実を暴き、新たな知覚を創造するために、肉眼ではなくキャメラの眼を利用…
「カリガリ博士」(1920)の脚本家であるカール・マイヤーは、スタンダールの「イタリア年代記」の翻案である「ヴァニーナ」(1922)の脚本を担当している。他にもドイツでは、4部からなる長編「ライン悲愴曲」(1922−23)が製作された。帝国…
当時スペクタクル映画を多く監督していたエルンスト・ルビッチは、「ファラオの恋」(1922)を送り出している。古代エジプトを舞台に、美しい女奴隷を巡ってエジプトとエチオピアが血を流し合うというストーリーを歴史絵巻風にまとめた作品である。 この…
デンマーク映画の衰退のために、国外で映画製作を行っていたカール・ドライヤーは、ドイツで「不運な人々」(1922)を監督している。1905年の革命当時の南ロシアにおけるユダヤ人虐殺を描いた小説の映画化で、宗教的不寛容が主題だった。完璧なまで…
「ドクトル・マブゼ」(1922)の脚本は、フリッツ・ラングの名声を高めた「死滅の谷」(1921)と同じように、テア・フォン・ハルボウと共同で執筆された。ラングとハルボウは1922年に結婚している。2人とも2度目の結婚だった。ハルボウの先妻…
フリッツ・ラング監督は、「ドクトル・マブゼ」(1922)を監督している。催眠といった超人的なパワーを持つ悪漢マブゼを描いた連続小説を映画化した作品で、ラングが得意としていた探偵物に表現主義的な舞台装置を結びつけた作品と言われる。敗戦後の混…
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)の映画化を行ったのは、プラーナ・フィルムという会社である。この会社はアルビン・グラウという画家・舞台装置家・建築家の肩書きを持つ人物が中心となって作られた映画製作会社で、設立からブラム・ストーカーの「ド…
ドイツを代表する監督であるF・W・ムルナウ監督は、「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)を監督している。ドイツ表現主義の作品と数えられることもある作品だが、舞台装置よりも、精神と脚本が表現主義的な作品とも言われる。脚本を担当したのは、怪奇と…