2011-02-01から1ヶ月間の記事一覧

 松竹蒲田 牛原虚彦、島津保次郎の復帰

芸術的な映画製作を目指していたが1921年に解散した松竹キネマ研究所に所属していた牛原虚彦は、松竹蒲田撮影所に復帰していた。 「母いづこ」(1922)は、そんな牛原虚彦が監督した作品である。アメリカ映画「オーバー・ゼ・ヒル」(1921)が輸…

 スウェーデン映画、フィンランド映画 1922年

スウェーデンでは、ヴィクトル・シェーストレームが、フランス人作家ピエール・フロンデー原作の「包囲された家」(1922)を監督したが、失敗作といわれている。児童ものを得意としていたというシーグルド・ヴァレーン監督は、「アンデショーン夫人の家の…

 中国 中国初の本格的劇映画製作会社「明星影片公司」設立

1922年の中国では、かつての新民公司で共に映画製作を行っていたチャン・シーチュアンとチョン・チョンチュウが再び組み、上海で明星影片公司を設立している。この会社は、中国初の本格的な劇映画製作会社と言われている。 当初はチャンの意見でアメリカ…

 アイルランド共和国の誕生と映画製作

アイルランドでは、イギリスからの独立戦争が行われていたが、イギリスとの間で条約が締結され、1922年にアイルランド共和国が誕生した。しかし、この条約によりアイルランドの南北が分断されてしまい、内戦が勃発しており、映画界にも大きな影響を与え…

 デンマーク 「魔女」 現代にはないタイプの作品

衰退していたデンマーク映画だが、A・W・サンベア監督の「大いなる遺産」「デイヴィド・コパーフィールド」(1922)といったチャールズ・ディケンズ原作作品が作られている。 デンマーク人のベンヤミン・クリステンセンは、デンマークとスウェーデンの…

 イタリア 不振の中の秀作「過去よりの呼び声」

1922年に作られたイタリア映画としては、ジェンナーロ・リゲッリ監督の「過去よりの呼び声」(1922)がある。イタリアの売れっ子劇作家ファウスト・マリア・マルティニの原作を映画化した作品だった。死んだわが子の代わりに育てた若者を女として愛…

 不振が続くイタリア映画

1922年は、ムッソリーニが政権についた年である。ムッソリーニ政権は、出版検閲などを行ったが、映画に対する圧力はまだなかった。だが、新しい発想は生まれず、映画界は史劇大作のみをつくるのみだったという。活躍の場がない若手の監督たちは、外国で…

 イギリス 若い映画人の台頭 バルコン、ウィルコックス

不振だったイギリス映画だったが、若い才能が芽生え始めていた。 後に、イギリス的性格を作品に反映させた映画製作者の1人となるマイケル・バルコンは、生地バーミンガムで配給業をやっていたが、1922年にヴィクター・サヴィルらとイズリントンに独立プ…

 スペイン映画 1922年

スペインでは、スペインの国技である闘牛を扱った映画が製作されていた。この年は、アンリ・ヴォラン監督の「ミリトナ、または闘牛士の悲劇」(1922)が製作されている。 またスペインでは、植民地だった北部モロッコの反乱によるモロッコ戦争が1909…