2012-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「吸血鬼ノスフェラトゥ」(1922)を監督したF・W・ムルナウは、ノーベル賞作家であるゲルハルト・ハウプトマン原作の「追放」(1923)を監督している。 アメリカへと活躍の場所を移したルビッチが道を開いた歴史大作の分野では、ペーター・ポール・…
同年に映画化された「地霊」(1923)を監督したのは、後に「パンドラの箱」(1929)を監督することになるG・W・パプストだ。 「宝物」(1923)で監督デビューしたパプストは、舞台から1921年に映画に転向して、俳優として活躍した。その後…
スタジオ主義のドイツ映画は、「室内劇映画」と呼ばれるジャンルの映画を生み出していたが、その延長で街路の世界をドラマに引き入れてリアリズムに近づいた「街路の映画」と呼ばれる映画も製作された。 「蠱惑の街」(1923)は、そんな「街路の映画」の…
表現主義は、ドイツ映画に光と影を大事にするスタイルを生み出した。ドイツ的な暗さの幻想とサスペンスを感じさせる、アルツール・ロビソン監督の「戦く影」(1923)では、大きな黒い影が動く演技を見せた。 貴族と妻、妻を愛する別の男とその友人に影絵…
「カリガリ博士」(1920)で火がついた表現主義の流れの作品として、「カリガリ博士」も担当したロベルト・ヴィーネ監督で、ドストエフスキー原作の「罪と罰」(1923)が作られている。 モスクワ芸術座出身のアンドレ・アンドレイエフが立体的構造を…
後にフランスを代表する監督の1人となるジャック・フェデーは、オーストリアで「面影」(1923)を監督している。ジュール・ロマンの小説を映画化したロマンティック・コメディである。写真で見た女性に恋をした3人の男性が、実物の女性を見て失望する…
「ラ・バタイユ」(1923)は、ハリウッドでスターとなっていた早川雪洲がフランスに遠征し出演した作品である。早川は、エドゥアール・ヴィオレと共同で監督も務めた。早川の妻でもある青木鶴子が共演した。 ディミトリ・キルサノフは、「運命の皮肉」(…
ロシア革命の後に成立したソ連に留まらず、スターだったイヴァン・モジューヒンを始めとした映画人たちがフランスへ亡命してきていた。彼らは、自分たちの資金を使い、フランスで映画を製作した。 「火花する恋」(1923)は、モジューヒンが製作・脚本・…
印象派の監督の1人に数えられている女性監督のジェルメーヌ・デュラックは、「微笑むブーデ夫人」「ゴセット」(1923)を監督している。 「微笑むブーデ夫人」は、夫の無理解と妻の沈黙による憎しみの物語である。花瓶の位置を夫婦がそれぞれ無言で自分…