2012-08-01から1ヶ月間の記事一覧

会社を超えた時代劇の変化

寿々喜多呂九平脚本の「浮世絵師・紫頭巾」(1923)や松竹蒲田で作られた伊藤大輔脚本の「女と海賊」(1923)は、それまでの尾上松之助の映画とは異なったタイプの時代劇を目指した。そして、忠義を第一とした時代劇から離れた反逆的時代劇とも言える作品が作ら…

「浮世絵師・紫頭巾」と寿々喜多呂九平の衝撃

「浮世絵師・紫頭巾」(1923)は、マキノプロダクション製作、総指揮牧野省三、監督金森万象、原作・脚本寿々喜多呂九平で作られた作品である。 旧劇の古い型から脱出した颯爽とした作品であり、快適なテンポや探偵趣味的といったアメリカの活劇を取り入れたス…

マキノ映画と寿々喜多呂九平と阪東妻三郎

牧野省三は脚本を重視したことで有名だが、そんな牧野の期待にこたえた脚本家が寿々喜多呂九平と言える。 「浮世絵師・紫頭巾」(1923)は、寿々喜多の脚本家デビュー作である。寿々喜多は、主役を阪東妻三郎に回すように牧野省三に進言した。だが、メーク・ア…

マキノ映画製作所の映画製作

二川文太郎がこの年から監督として活躍を始めている。マキノの教育映画にカット・バックを入れたり、タイトルによる省略を行ったりして見事に再編集したことがあり、その手腕を牧野省三に買われたのだった。 他にもマキノでは「二羽の小鳥」「弥次と北八」「…

マキノ映画製作所の設立

牧野省三の牧野教育映画製作所は、高野山の宣伝映画である「貧者の一燈」(1923)や「不如帰」(1923)といった作品や、衣笠貞之助監督の「不知火」(1923)などを製作したりしていた。衣笠は、田園物語を美しい自然とソフト・フォーカスで演出…

充実してきた松竹の映画製作と興行

アメリカ映画の要素を取り入れて新しい試みを行っていた松竹現代劇に対し、時代劇の分野では伊藤大輔脚本の「女と海賊」(1923)が製作されている。「清水次郎長」の好評を受けて製作された。松竹新時代劇と銘打たれた第2作で、上映時の声色や鳴り物を…

松竹 「船頭小唄」のヒットと栗島すみ子の人気

松竹が製作した大ヒット作に池田義信監督「船頭小唄」(1923)がある。 監督の池田義臣は、会社から正月用の中編ものを至急作れと言われて、わら半紙数枚の筋書きを伊藤大輔からもらい、数人のスタッフと俳優を引き連れて夜行列車に飛び乗った。撮影後急…

松竹 アメリカ映画の影響 「人生の愛」「忍術ごっこ」

当時の日本では、アメリカ映画のジャンルを積極的に取り入れていたが、松竹は特にその傾向が強かった。 親の愛を扱ったアメリカのメロドラマは日本映画に影響を与えていた。例えば牛原虚彦監督の「人生の愛」(1923)は、アメリカ映画「故郷の愛」(19…

松竹 小津安二郎と五所平之助の入社

後に監督として活躍する小津安二郎と五所平之助が松竹の蒲田撮影所に入社している。 小津は裕福な家庭の子供で、中学生時代にアメリカ映画マニアになって進学に失敗していた。小津は松竹に入るまで日本映画は3本しか見たことがなかったという。当時のインテ…