2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧

カール・ドライヤーの転機 「ミカエル」

デンマーク出身の監督カール・ドライヤーは、ドイツで「ミカエル」(1924)を監督している。ウーファ社のエーリッヒ・ポマーの製作でドライヤーは制作上の自由を得て撮影された作品であり、ドライヤー自らが転機となったと語る作品である。作家ヘアマン・…

その他のドイツ映画 1924年

アメリカへと活躍の場所を移したエルンスト・ルビッチが道を開いた歴史大作の分野では、リヒャルト・オズワルド監督の骨肉争うスペイン宮廷を描く「ドン・カルロスとエリザベート」(1924)が作られている。 この年「最後の人」(1924)を監督したF…

ドイツ映画 街路の映画と「ニュウ」

「室内劇映画」の延長で街路の世界をドラマに引き入れてリアリズムに近づけた「街路の映画」と呼ばれる映画の1つとして、パウル・ツィンナー監督、エリザベート・ベルクナー主演の「ニュウ」(1924)があげられる。ロシアの新進作家オシップ・ディモフ…

ドイツ 室内劇映画とルプ・ピックの「除夜の悲劇」

スタジオ主義のドイツ映画の伝統ともいえる「室内劇映画」の分野では、ルプ・ピック監督の「除夜の悲劇」(1924)が作られている。脚本は同じピック監督の室内劇「破片」(1921)も担当したカール・マイヤーである。 登場人物は平凡なカフェの店主、…

ドイツ映画 表現主義の末裔「裏町の怪老窟」

「カリガリ博士」(1920)から始まった表現主義の流れの作品として、パウル・レニ監督による「裏町の怪老窟」(1924)が作られている。 レニは、表現派の画家からマックス・ラインハルトの舞台のデザイナーを務め、1914年から映画のセットを手が…

ドイツ映画 F・W・ムルナウの無字幕映画「最後の人」

F・W・ムルナウは、革新的なカメラワークを見せる「最後の人」(1924)を監督している。 カール・マイヤーが室内劇映画の典型を目ざして書き上げた力作であり、元々はルプ・ピックのために用意したのだったが、ピックと意見が合わずに宙に浮いていたと…

ドイツ映画 フリッツ・ラング「ニーベルンゲン」 ドイツ人の自信と誇りの蘇生

様式的な構成が特徴的な作品を送り出していたフリッツ・ラングは、「ニーベルンゲン」(1924)を監督している。 「ニーベルンゲン」は、ウーファとデクラ社の共同製作による作品であり、2年の準備期間と7ヶ月の製作日数、莫大な予算をかけた二部構成の…

その他のフランス映画 1924年

ルイ・デリュックの提唱した映画独自の美を重視するフォトジェニー論を探求していたジャン・エプスタンは、この頃はアルバトロス社で映画を撮っていた。自分の子の写真をポスターに売った母親だが、子供が死んでしまうという内容の「ポスター」(1924)や…

フランス映画 アレクサンドル・ヴォルコフとイヴァン・モジューヒンのコンビ作 「キーン」「過ぎ行く雲」

「キーン」(1924)は、名優キーンを描いたアレクサンドル・ヴォルコフ監督作である。ウィリアム・ファーナム主演「名優の恋」(1922)と同じ原作の舞台劇の映画化だった。18世紀のロンドン。名優と言われたキーンは伯爵夫人を愛していたのだが、…

フランス映画 独立監督マルセル・レルビエの活躍 「人でなしの恋」

フランス印象派の代表的監督と言われたマルセル・レルビエは、製作費の問題でゴーモン社と仲たがいし、友人たちとシネグラフィック社を設立している。シネグラフィック社の作品は、パラマウントが世界配給を担当した。また、ルイ・デリュックの遺作となった「…

フランス ルイ・デリュックの33歳の死

フォトジェニー論を提唱し、監督として実作も行ったルイ・デリュックは、「洪水」(1924)を監督している。 三角関係に洪水による死を交えた作品である。トリック撮影で洪水を表現しようと思っていたが、偶然ローヌ河が氾濫して実際の洪水風景を撮影する…

フランス 「純粋映画」 シュールレアリスムの流れ

当時、美術や文学の世界では現状の形式から離れたシュールレアリスムやアヴァンギャルドを目指す動きがあった。こうした動きについて出口丈人は「映画映像史」の中で次のように書いている。 「工業化にもとづく大衆化社会、新しいメディア体験という、かつて…

フランス 「パテ」「ゴーモン」の栄光は戻らず

リュミエール兄弟から第一次大戦勃発まで、世界の映画界をリードしていたフランスは、かつての栄光を取り戻せずにいた。1924年には、老舗のエクリプス社が清算され、エクレール社は「ラ・ソシエテ・アンデュストリエル・シネマトグラフィック社(S・I…

技術革新 1924年 トーキー、立体映画

トーキーの商用実用化はまだ先の話だが、1924年にベル研究所が音を光に変調させてフィルムに感光録音させる現在のトーキー方式を完成させている。当時ベル研究所はウェスタン・エレクトリック・カンパニー傘下にあり、この方式は「ムーヴィートーン」と…

チャールズ・チャップリンの2度目の結婚

チャールズ・チャップリンは、女優のリタ・グレイと2度目の結婚をしている。当時チャップリンは35歳だった。チャップリンはハリウッドのカフェでリタを見つけ、「キッド」「のらくら」(1921)「黄金狂時代」(1925)で脇役を与えた。リタが16歳…

その他のアメリカ映画 1924年

後に大プロデューサーとなるダリル・F・ザナックは、この頃脚本を書いていた。1924年にワーナー専属の脚本家となり、4つのペンネームで脚本を書き、「名犬リンチンチン」シリーズなどを手がけた。 海洋映画を多く手がけるフランク・ロイド監督は、ラファ…

大女優たち 1924 スワンソン、ネグリ・・・

1923年に24歳で全米興行収入ナンバーワン女優となったグロリア・スワンソンは、「嬲られ者」「蜂雀」(1924)に出演している。 「嬲られ者」でスワンソンは、見事なスラプスティック芸を見せている。スワンソンのデビューは喜劇女優としてであり、…