2015-03-01から1ヶ月間の記事一覧

ドイツ F・W・ムルナウ「タルチュフ」

映画史に名を残す「最後の人」(1924)を監督したF・W・ムルナウは、モリエール原作でカール・マイヤーが脚本を担当した「タルチュフ」(1925)を監督している。 遺産を狙う家政婦が、自分が仕える老人に、甥に相続権を与えぬように説得するが、偽…

ドイツ 「喜びなき街」 G・W・パプストとガルボ

G・W・パプストは、ヒューゴー・ベタウァーの小説をオールスターキャストで映画化した「喜びなき街」(1925)を監督している。第一次大戦後のインフレに見舞われたウィーン。貧しいグレーテは生活のために高級売春婦にされそうになり・・・という内容…

ドイツ E・A・デュポンの「ヴァリエテ」と街路の映画

E・A・デュポンは、「ヴァリエテ」(1925)を監督している。デュポンは映画批評家から脚本家として映画界に入り、やがて監督になった人物である。娯楽映画を得意とし、商業作品のベテランとして知られていた。 「ヴァリエテ」のストーリーは、通俗的な…

ドイツ パルファメト協定の締結

1925年になると、ドイツは第一次大戦の敗戦の混乱から脱出し、新しい時代に入っていた。 映画界においても大きな動きがあった。ドイツ最大の映画会社であるウーファが、多額の負債からの脱却を図り、アメリカのMGMおよびパラマウントとパルファメト協…

その他のソ連映画 1925年

初期ソ連映画の重要人物と言われるウラジミール・ガルジンは、カトリック聖教者の反革命的陰謀を描いた「十字架とモーゼル銃」(1925)を監督している。自然と風景をうまく利用して作られた作品だという。ガルジンは、革命後は重要な作品を作らなかった…

ソ連 ヤーコフ・プロタザーノフの活躍

SF映画「アエリータ」(1924)を監督したヤーコフ・プロタザーノフは、レーニン一周忌映画「彼の呼びかけ」(1925)を監督している1917年から1925年にかけてのロシアのある労働者家族を描き、ソ連の創設を見せる。 他にもプロタザーノフは…

ソ連 クレショフ工房とその面々

レフ・クレショフは、1920年代初頭に国立映画学校で教鞭を執った人物であり、門弟のフセヴォロド・プドフキンやボリス・バルネットらと「クレショフ工房」を組織し、さまざまな実験を行った。特に有名なのは、イワン・モジューヒンのクロース・アップにス…

モンタージュ理論とは?

「モンタージュ」とは、「組み立て」を意味するフランス語を語源とし、一般にフィルムの編集を意味するが、映画史的には特定の効果を狙う特殊な編集を指すことが多い。一言で言うと、ショットとショットなど、映画の構成要素について効果的な結合法を探求し…

「戦艦ポチョムキン」 エイゼンシュテインによる歴史的名作

当時まだ弱冠27歳だったエイゼンシュテインが、「ストライキ」(1925)の次に監督したのが「戦艦ポチョムキン」(1925)である。この作品は、多くの国で上映禁止となったにも関わらず、世界に広まった最初のソ連映画でもあり、現在でも映画史に名…

セルゲイ・エイゼンシュテイン「ストライキ」

セルゲイ・エイゼンシュテインは、「ストライキ」(1925)を監督している。 特定の事件を再現したものではないが、地方都市で発生したストライキと虐殺事件を総合した内容である。モンタージュが駆使され、特にラストの虐殺のシーンは見事だった。ソ連映…

ソ連 映画産業体制の進展 「ソフキノ」の誕生

1924年に創設された国営映画製作・配給機関「ゴスキノ(国立映画)」は、1925年に輸出入機能も含む「ソフキノ」に発展している。また、レニングラードに改称されたペトログラードに、1924年に設立されていた「セフザップキノ(北方映画)」は、…

ソ連 映画の重要性を認識していたレーニン

1924年に死去したレーニンは、早くから映画に大きな興味を寄せていた。革命後には「すべての芸術のなかで、私たちにとって最も大切なものは映画である」とまで語っていたという。レーニンは啓蒙の手段として映画の重要性を認識していた一方で、テーマや…

その他のアメリカ映画 1925年

1919年に設立されたユナイテッド・アーティスツは、1925年にシェンク兄弟の兄、ジョゼフ・シェンクが社長となってから、サンタモニカ大通沿いに撮影所も建設し、順調に成長したと言われている。 ワーナー・ブラザースで脚本家として活躍していたダリ…

ハリウッドへやって来たヨーロッパ映画人たちの活躍 シェーストレーム、ネグリ

モーリッツ・スティルレルより一足早くハリウッドで監督活動を行っていたヴィクトル・シェーストロームは、「女王の告白」「故郷の土」(1925)を監督している。「故郷の土」はラーゲルレーフ原作「ポルテュガリアの皇帝」の舞台をアメリカに移して映画…

「曲馬団のサリー」「竜巻」 続くD・W・グリフィスの苦難

D・W・グリフィスはかつての栄光を失った中でも、映画製作を続けていた。コメディの混じったメロドラマである「曲馬団のサリー」(1925)は、W・C・フィールズが初めて大役を演じた作品だったが、出来は今ひとつだったという。この作品は、自らが設…

開拓ドラマとジェームズ・クルーズ

ジェームズ・クルーズの「幌馬車」(1923)以降、多くの開拓ドラマが作られた。この年には、ウィリアム・K・ハワード監督「轟く天地」(1925)、ジョージ・B・サイツ監督「滅び行く民族」(1925)や、ジェームズ・クルーズ監督自身による「駅馬…

「オペラの怪人」ロン・チェイニーとトッド・ブラウニング

「オペラの怪人」(1925)は、当時ハリウッドで最もホラー映画に力を入れていたユニヴァーサルによって製作された作品である。フランスの作家ガストン・ルルーの代表作を映画化した作品だ。「千の顔を持つ男」という異名を持ち、メイク・アップに凝って…

秘境ものの見世物的価値 クーパーとシュードサック

メリアン・C・クーパーとアーネスト・ショードサックは、1919年に出会い、1922年にカリフォルニアの博物館の依頼で中東・エチオピアを2人で探検した人物である。元々探検家だった2人は、「極北の怪異」(1922)のヒットを聞いて秘境冒険映画…

西部劇スター ハートの凋落とトム・ミックスの人気

1910年代から1920年代にかけて西部劇スターとして活躍していたウィリアム・S・ハートは、この頃になると人気も落ちていた。そんなハートが主演した作品が「嚝原の志士」(1925)である。ユナイテッド・アーティスツが配給したが、失敗に終わっ…

「魔女」のベンヤミン・クリステンセン、ハリウッドへ

「魔女」(1922)を監督した後、スウェーデンやドイツで映画監督をしていたベンヤミン・クリステンセンは、MGMに招かれてハリウッドへと渡っている。メイヤーは「魔女」の試写を見て驚き、シェーストレームに相談した上で契約を申し込んだという。ち…

ルビッチ流風俗喜劇の流行と新しいコメディの台頭

ドイツからハリウッドにやって来たルビッチはハリウッド大きな影響を与え、ルビッチ流の風俗喜劇が流行した。 マルコム・セント・クレア監督の「子の心親知らず」(1925)もその1つである。離婚しそうなアドルフ・マンジュー演じる父とフローレンス・ヴィ…

エルンスト・ルビッチとドイツ映画人のハリウッドでの活躍

ドイツからハリウッドへ渡り、小津安二郎も真似たという「ルビッチ・タッチ」と呼ばれた洗練されたタッチの作品を監督したエルンスト・ルビッチは、オスカー・ワイルドの戯曲が原作の「ウィンダミア夫人の扇」(1925)や「当世女大学」(1925)で手腕…

「ロスト・ワールド」 怪獣・特撮映画の古典

「ロスト・ワールド」(1925)は、コナン・ドイル原作の映画化であり、ハリー・O・ホイトが監督した。新聞記者のエドワードがチャレンジャー教授の探検隊に加わり、アマゾン川上流の探検に出発し・・・という内容の作品である。 大規模な特殊撮影が行わ…

ピックフェアの映画製作 「アンニー可愛や」「ドンQ」

ピックフェアと呼ばれた、メアリー・ピックフォードとダグラス・フェアバンクスも、映画製作を続けていた。 「ロジタ」(1923)や「ドロシー・ヴァーノン」(1924)で大人の女優への脱皮を目指したが、大衆の支持を得られなかったメアリー・ピックフ…

グロリア・スワンソン ヨーロッパ貴族との結婚

大スターだったグロリア・スワンソンは、「ありし日のナポレオン」(1925)の撮影のためにフランスにいた。「ありし日のナポレオン」は、ハリウッド女優が初めてフランス映画に主演した作品で、スワンソンは若き日のナポレオンが常連だった洗濯屋の女主…

クラレンス・ブラウンの活躍 「荒鷲」「鵞鳥飼ふ女」「燻ゆる情炎」

ルドルフ・ヴァレンティノ主演の「荒鷲」(1925)を監督したのは、クラレンス・ブラウンである。ブラウンは他にも、「鵞鳥飼ふ女」(1925)や「燻ゆる情炎」(1925)を監督している。 「鵞鳥飼ふ女」は、ルイーズ・ドレッサー演じる往年の人気歌手…

ルドルフ・ヴァレンティノ 求められるイメージとの戦い

イメージと異なる役柄を演じたいという自身の欲求をかなえてコメディ演技を見せた「ボーケール」(1924)に出演したが、観客にそっぽを向かれたルドルフ・ヴァレンティノは、観客が求めるイメージどおりの役を演じていた。 独立製作者のために「毒蛇(コ…

その他のコメディアンたちの活躍 1925年

多くのロスコー・アーバックル作品で脇を務めるなどの活躍をしていたアル・セント・ジョンは、コメディ「アイアン・ミュール」(1925)に出演している。ジョン・フォード監督「アイアン・ホース」(1924)のパロディである「アイアン・ミュール」は…

「セブン・チャンス」「西部成金」脂の乗ったバスター・キートンの映画製作

チャップリン、ロイドと並んで三大喜劇王といわれるバスター・キートンは、「セブン・チャンス」「西部成金」(1925)に出演している。 「セブン・チャンス」は、キートンが財産目当ての女性たちに追いかけられる作品で、転がり落ちてくる巨大な石からキー…

「ロイドの人気者」ハロルド・ロイドの最高のヒット作

平均的なアメリカ人を演じて人気者となっていたハロルド・ロイドは、「ロイドの人気者」(1925)に出演した。田舎から出てきて大学に入学したロイドが、他の学生たちにバカにされてばかりで・・・という内容の作品だで、260万ドルの興行収入というアメ…