2016-11-01から1ヶ月間の記事一覧

その他のフランス映画 1927年

後のフランスの巨匠ルネ・クレールは、ドラマティックな冒険劇「風の餌食」(1927)を監督している。 技術面では、フランスのソルボンヌ大学教授アンリ=ジャック・クレティアンがアナモフィック(歪曲)レンズを用い、横長の風景を圧縮して撮影し、映写…

後のフランス映画の巨匠 ジュリアン・デュヴィヴィエの映画製作

ルネ・クレールらと並ぶ古典フランス映画の巨匠の1人となるジュリアン・デュヴィヴィエは、フィルム・ダールと3ヵ年契約を結び、契約の条件だったカトリック宣伝映画「エルサレムの苦悩(L’AGONIE DE JERUSALEM)」(1927)を監督している。パレスチナ…

1927年のフランス映画の代表作 アベル・ガンス「ナポレオン」

1927年のフランス映画の代表作はアベル・ガンスの「ナポレオン」(1927)であろう。ナポレオンが砲兵隊長として戦功を立てて将軍となり、イタリア遠征に出発するまでを描いた作品である。 大量の衣装、鉄砲、大砲が集めたり、作られたりした。無声映…

ドイツ 「懐かしの巴里」 G・W・パプストのリアルな描写力

多くの監督や俳優たちがハリウッドへと去っていったドイツ映画界は寂しい様相を呈していた。だがその中で、即物主義的作品を監督したG・W・パプストが気を吐いていた。パプストは、恋愛もの「懐かしの巴里」(1927)を監督している。ブリギッテ・ヘル…

ドイツ フリッツ・ラング・フィルムの設立

多額の製作費と興行的失敗という結果に終わった「メトロポリス」(1927)の責任を、経営危機にあったウーファは、ラングに責任を負わせようとした。ウーファはラングとの契約を解消しようとしたが、責任は自分にないとラングは弁明し、ウーファとの契約…

ドイツ ウーファの経営危機とアルフレート・フーゲンベルク

当時のドイツでは、ハリウッド映画が流行していた。1927年の最初の4ヶ月の間に163本の映画が公開されたが、そのうち71本がアメリカ映画でドイツ映画は59本だった。 一方で、ドイツ映画界で最大の映画会社ウーファは、財政危機に陥っていた。19…

ドイツ フリッツ・ラングの大作「メトロポリス」

この年のドイツ映画の代表作は、エーリッヒ・ポマー製作、テア・フォン・ハルボウ脚本、フリッツ・ラング監督の「メトロポリス」(1927)だろう。 700万マルクにのぼる製作費で、ドイツ映画始まって以来の大作だった。撮影は1925年5月から開始さ…

ドイツ ワルター・ルットマン「伯林−大都会交響楽」

ワルター・ルットマンは「伯林−大都会交響楽」(1927)を監督している。カール・マイヤーとカール・フロイントが原作を担当した。ソ連のジガ・ヴェルトフの理論に従い、大都会ベルリンの1日を盗み撮り中心に撮影し、膨大なフィルムを視覚的映像構成で描い…

その他のアメリカ映画 1927年

後に子役スター、青春スターとして活躍するミッキー・ルーニーは、人気漫画原作の短編映画「ミッキー・マクガイア」シリーズのオーディションに合格し、以後6年間主人公の腕白少年を演じることになる。ルーニーはヴォードヴィルでコンビを組んでいた両親の…

「カルメン」 ラォール・ウォルシュの通俗性

ラォール・ウォルシュ監督は、「カルメン」(1927)を監督している。プロスペル・メリメの原作小説よりも、歌劇「カルメン」の映画化に近い。スペインを熱狂させている闘牛士エスカミロは、負傷中に情熱溢れるカルメンと出会い・・・という内容の作品だ…

大スターたちの映画出演 1927年

自身のプロダクションで大作を製作したダグラス・フェアバンクスは、「ガウチョ」(1927)に出演している。アレグザンダー・ウォーカーは「スターダム」の中で、この作品を批判的に次のように書いている。「あの無邪気な運動家が自意識過剰のナルシストに…

ハリウッドで活躍した日本人

昨年から始まった、中国人警官が主人公の「チャーリー・チャン」シリーズの2作目「支那の鸚鵡」(1927)では、日本人の上山草人がチャンを演じた。ちなみに、当時の日本はアメリカの仮想敵国だったこともあり、ハリウッドで上山は日本人を演じていない。…

MGM アーヴィング・サルバーグとノーマ・シアラーと結婚と、マーカス・ロウの死

"空の星よりも数の多い"スターを擁していると宣伝していたMGMで、若き大プロデューサーとして辣腕を振るっていたのがアーヴィング・サルバーグだ。さるバーグは、監督のハワード・ホークス、俳優のジョン・ギルバート、プロデューサーのポール・バーンら…

ジョン・ウェインの映画界入りとトム・ミックス

後に大スターとなるジョン・ウェインが、フォックスの小道具係として映画化入りしている。 ウェインは、以前にも映画界入りしかけたことがあったと言われている。それは、当時の西部劇の大スターのトム・ミックスに誘いによってである。 1920年代半ばに、…

モダニズム映画の流行

エルンスト・ルビッチの作品のヒットにより、洒落たモダニズム映画が流行した。 女流監督ドロシー・アーズナーは、「近代女風俗」「モダン十誡」「恋人強奪」(1927)を監督した。エスター・ラルストンを主演に、スマートなコメディ・タッチを生かしなが…

トッド・ブラウニングとロン・チェイニーのコンビ作 「見知れぬ人」「London After Midnight」

トッド・ブラウニングとロン・チェイニーは、1925年からコンビ作を連発していたが、この年は「見知れぬ人」「London After Midnight」(1927)が作られている。 「知られぬ人」は、腕があるのにないふりをしている足ナイフ投げ芸人が、恋愛のもつれか…

「チャング」 秘境見世物映画の代表作

後に「キング・コング」(1933)を監督するメリアン・C・クーパーとアーネスト・ショードサックは、タイ北方のラオスのジャングルで生きるクルー一家の物語である「チャング」(1927)を監督している。 パラマウントが製作した作品で、プロデューサ…

ハロルド・ロイドの「田吾作ロイド一番槍」が大ヒット

ハロルド・ロイドは、テッド・ワイルド監督の「田吾作ロイド一番槍(キッド・ブラザー)」(1927)に出演している。力自慢の男所帯の中で、おとなしいロイドが奮闘して、家族の危機を救い、愛する人の愛を得るという物語の作品だ。 これまでのロイド作品の…

バスター・キートンの映画製作 「キートンの大列車追跡」「キートンの大学生」

バスター・キートンの出演作の製作を担当したジョセフ・スケンクが、ユナイテッド・アーティスツの重役となったことから、キートンの作品はユナイテッド・アーティスツから配給されるようになった。 この年は、「キートンの大列車追跡(別題:キートンの将軍…

チャールズ・チャップリンの離婚スキャンダル

「キッド」(1921)のジャッキー・クーガンの人気が凋落する一方で、クーガンを見出したチャールズ・チャップリンもリタ・グレイとの離婚スキャンダルにまみれていた。 チャップリンに追い出されたグレイと母親が、チャップリンを訴えたのだ。チャップリ…

ジャッキー・クーガンの人気に陰り

チャールズ・チャップリンの「キッド」(1921)で世界中で愛された少年役を演じ、最初の子役スターと言われたジャッキー・クーガンは、この頃になると人気に陰りが見えていた。 7歳で「キッド」に出演したクーガンは、アメリカ人のアイドルになり、クー…

「暗黒街」とジョセフ・フォン・スタンバーグとベン・ヘクト

「救ひを求むる人々」(1925)がチャールズ・チャップリンに絶賛されたジョセフ・フォン・スタンバーグは、当初はMGMの監督となったが、1927年からパラマウントで監督を務めた。ちなみにこの頃のスタンバーグは、俳優たちの間で悪魔のように恐れられ…

スキャンダルに怯えるハリウッド

セシル・B・デミル監督「キング・オブ・キングス」には面白いエピソードがある。「キング・オブ・キングス」に出演したドロシー・カミングは、7年間にわたり演じた役を汚すことをしてはいけないという契約を結ばされた。このため、カミングが後に離婚訴訟を…

「キング・オブ・キングス」 デミルの野心と挫折

自身の製作会社を設立し、独立映画製作者たちによる配給組織であるプロデューサーズ・ディストリビューティング・コーポレーション(PDC)の設立したセシル・B・デミルは、イエス・キリストを描いた映画「キング・オブ・キングス」(1927)を発表してい…

ハリウッドへやって来たヨーロッパ映画人たち

「ヴァリエテ」(1925)の成功により、ドイツからハリウッドに呼ばれたE・A・デュポンも、1927年にハリウッドへやって来たが、1本だけを監督して去っている。 デュポンと同じく、ドイツからハリウッドへやって来たパウル・レニは、ユニヴァーサル…

グレタ・ガルボ「アンナ・カレニナ」とリリアン・ギッシュ

思うような映画製作ができなかったモーリッツ・スティルレルに対し、スティルレルがスウェーデンからハリウッドへと連れてきた女優グレタ・ガルボは、順調にキャリアを重ねていた。この年は「アンナ・カレニナ」(1927)に出演している。 「アンナ・カレニ…

「帝国ホテル」 モーリッツ・スティルレルの挫折

F・W・ムルナウがドイツからやって来る以前に、活躍を期待されてハリウッドへ招かれた監督に、スウェーデンのモーリッツ・スティルレルがいる。 スティルレルは、思うような映画をハリウッドで作れないでいた。ドイツからハリウッドへやってきていたエーリ…

F・W・ムルナウ「サンライズ」 サイレント映画の最高峰

フォックスの招きにより、ドイツからハリウッドへやって来たF・W・ムルナウは、「サンライズ」(1927)を監督している。 フォックスと「金は出すが口は出さない」契約に成功し、原作へルマン・ズーデルマン、美術・撮影もドイツ人、脚色はカール・マイヤ…

「あれ」の生みの親エリノア・グリン

「あれ」(1927)の原作者は、エリノア・グリンである。グリンは恋愛小説家でもあり、当時ハリウッドに原作・原案・脚本を提供していた。またグリンは、ハリウッドのスターたちに所作の指導もしたと言われる。たとえば、ルドルフ・ヴァレンティノには、手…

「あれ」のクララ・ボウと複雑な個性を発揮し始めた女優たち

アカデミー賞を受賞した「つばさ」(1927)に出演したクララ・ボウは、「あれ」(1927)で人気を高めた。「あれ」は、パラマウント製作で、公開にあたって大々的な宣伝が行われた作品である。「あれ(イット)」とはセックス・アピールを意味する言…