ユナイテッド・アーティスツ そこにあるのは自惚れか?映画への夢か?

 それは、自惚れだったかもしれない。それは、驕りだったかもしれない。

 1919年、チャールズ・チャップリン、メアリー・ピックフォード、ダグラス・フェアバンクス、D・W・グリフィスという映画界の巨人4人が配給会社ユナイテッド・アーティスツを設立した。そのうち3人は、内容はどのようなものであれ、公開すればヒットは確約されたスター兼映画製作者である。1人は、映画史に現在でも燦然と名を残す作品を生み出した大巨匠である。

 映画は、製作しただけでは誰の目に触れない存在であった。現在のように、ネットに流すというようなことはもちろんできない。製作された映画は、配給会社によって全国に配給され、映画館によって興行されて始めて一般の人の目に触れる必要があった。「製作」「配給」「興行」という3つの柱によって映画の生産・流通は成立しており、形は多少変われども、現在でも変わらない。

 配給会社の多くは映画製作も行ったり、傘下の映画製作会社を設立してそこで配給する映画を製作させたりしていた。そこには、配給会社の「こうした映画を作って欲しい(こうした映画が売れる)」という意思が働き、製作の現場では自由な映画作りが行われていたわけではなかった。

 ユナイテッド・アーティスツを設立した4人はすでに映画界の巨人たちであり、当時彼らは自身の製作会社を持っており、大手の配給会社と契約をして、映画を提供していた。彼らは絶大な人気や名声を背景に、かなり自由な映画製作を行うことができた。題材を決め、スタッフを決め、キャストを決めた。

 すでに自由な映画製作を行うことができた4人が、なぜ配給会社を設立する必要があったのだろう?その答えの1つに金があることは間違いないだろう。

 自らが製作した映画は、配給会社の手によって全国の映画館に配給され、興行が行われる。そして、彼らが映画1本あたりの金額とは別に歩合を受け取る契約となっていたとしても、映画館での売り上げから興行会社の取り分と配給会社の取り分を引かれた上で、歩合分を受け取ることになる。そこで、自分たちが配給会社を持てば、より多くの取り分を得ることができるのだ。

 パラマウントやファースト・ナショナルなど、多くの配給会社は映画館を買収したり、ブロック・ブッキングと言われる配給会社と映画館との専属契約(配給会社は安定的に映画を配給する代わりに、映画館側はその配給会社以外の作品を上映しないという契約)を結び、囲い込みを行っていた。新しく設立されたユナイテッド・アーティスツには囲い込んだ映画館はない。これは非常に不利なことだが、4人ほどの巨人たちであれば、映画館側から頭を下げて上映させてくれと頼み込んでくるはずだという計算があったはずである。

 こうして書くと、4人が金の亡者であるかのように聴こえるかもしれない。自分たちの人気を過信した嫌な奴らのように聴こえるかもしれない。しかし、私が言いたいのは決してそういうことではない。

 この4人の巨人たちは、ユナイテッド・アーティスツを設立することで、より巨額の富を手に入れたかもしれない。しかし、彼らはその後も映画製作を続けていく。チャールズ・チャップリンは、本数こそ少ないが、1本1本に魂が込められたような作品を送り出していく。メアリー・ピックフォードは、少女役というレッテルとの苦闘を刻み込んでいく。ダグラス・フェアバンクスは、自分が活躍できる映画を求めてどんどん大きくなる製作規模を抑えることができなくなっていく。D・W・グリフィスは、自らの理想と人々の求めるものがどんどん離れていくのに気づかずに、どんどん時代遅れになっていく。

 もし4人がひたすら金を儲けて、映画を撮ることもなく、愛人でも作って(いたかもしれないが)、その後の人生を送ったとしたら、私は4人を軽蔑したかもしれない。しかし、彼らは違う。配給会社設立によって得ることができた富を武器に、勇気と希望を持って映画製作を続けたのだ。自分たちの作ろうとしている映画が、世界で受け入れられることを信じて。

 ユナイテッド・アーティスツの設立は、多くの映画製作者や監督たちを刺激した。1919年11月には、トマス・H・インス、ジョージ・ローン・タッカー、アラン・ドワン、マック・セネット、マーシャル・ニーラン、モーリス・ターナーキング・ヴィダーらが参加して、アソシエイテッド・プロデューサーズ・コーポレーションが結成されている。夢は伝染するのだ。

 4人はユナイテッド・アーティスツを設立して、そこから様々な映画を送り出した。それらの中には、現在にも残る遺産がたくさんある。だが、何よりも最大の遺産は、ユナイテッド・アーティスツという会社の存在であろう。この後、サミュエル・ゴールドウィンアレクサンダー・コルダといった名プロデューサーたちが送り出した多くの作品も、もしかしたらユナイテッド・アーティスツがなければ存在しなかったかもしれない。

 そこには自惚れもあったことだろう。驕りもあったことだろう。

 「ユナイテッド・アーティスツ(芸術家たちの集合体)」という、高尚な名前が付けられた映画配給会社は、様々な人たちの自惚れと驕りをも吸収しながら、現在でもその名を残している。そして同時に、映画への夢と希望と勇気をも吸収しながら。