映画評「シラノ・ド・ベルジュラック」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]イタリア、フランス  [原題]CIRANO DI BERGERAC  [英語題]CYRANO DE BERGERAC

[製作]アウグスト・ジェニーナ、フィルム・エクストラ  [製作・配給]UNIONE CINEMATOGRAFICA ITALIANA

[監督・製作・脚本]アウグスト・ジェニーナ  [原作]エドモン・ロスタン  [撮影]O・ハヴィオ・ド・マティス

[出演]ピエトロ・マニエ、リンダ・モリア、アンジェロ・フェラーリ、アレックス・ベルナール、ウンベルト・カシリニ

 舞台はフランス。詩を始め多才なシラノ・ド・ベルジュラックは、大きな鼻がコンプレックスで愛するロクサーヌに告白できずにいた。ある日、ロクサーヌから呼び出され、嬉々として駆けつけるシラノだったが、ハンサムなクリスチャンへのラブ・レターを渡して欲しいという依頼だった。愛の言葉に乏しいクリスチャンのために、代わって愛の手紙を書き、愛を語るシラノ。戦争が勃発して、シラノとクリスチャンは出征することになる。

 有名な戯曲を映画化した作品。実在の人物をモデルに書かれ、1897年の初演から世界中にファンを生み出した原作と同じ構成で作られている。シラノを演じるマニエも舞台俳優で、舞台でもシラノの役も演じていたという。

 この作品はサイレントである。そのため、魅力の1つであるシラノの機知に富んだセリフも、とろけるような愛の言葉も、すべて字幕で表現されている。加えて、マニエ演じるシラノを始め、登場人物たちの演技は舞台風の大げささを見せる。映画としては失敗と言われてもしかたがないだろう。だが当時は映像といえばサイレントしか存在していなかったのだ。人気の舞台を忠実に映画にしようという意図を誰が責められようか。

 演出も優れているとは言えないだろう。戦闘シーンのスペクタクルや、屋外でのロケ撮影は映画ならではだが、それ以上のものは感じられなかった。象徴的なのは、シラノが初めて登場するシーンだろう。人々の噂に上るシラノはなかなか登場しない。ようやく劇場に姿を現したシラノだが、群衆の中に隠れてなかなか姿を現さない。ここまではいい。だが、ようやく姿を見せたシラノをミディアム・ショットで正面から撮っているのだ。シラノの特徴であるグロテスクなまでに高い鼻は正面から撮られているため、よくわからないのだ。舞台的な演出をカメラが撮影しているかのような演出なのだ。

 それでも、私はこの作品に見入った。それは、「シラノ・ド・ベルジュラック」の持つストーリーとキャラクターの強さなのだろう。ロクサーヌへのシラノが愛の言葉を口に出すのは2回。1回目はクリスチャンの代わりに、2回目もまたクリスチャンが書いたことになっている(実際はシラノが書いた)手紙を読む形で。シラノは最後まで、ロクサーヌに直接愛の言葉を伝えることはできなかったのだ。すべて人並み以上だったシラノは、鼻へのコンプレックスによって、結局愛する人に直接愛を伝えることはできなかったのだ。シラノの愛は最後まで間接的だったが、それでも最後にはロクサーヌに伝わった。

 映画としては今ひとつと感じるにかかわらず、ストーリーやキャラクターに見入ってしまい、戸惑うことがある。自分はただ、こういったタイプの作品が好きなだけじゃないのかと。そして、多分その通りなのだと思う。なので私は、素晴らしいエドモン・ロスタンの原作の魅力を損なうことなく、映像にしてくれたことに感謝したい。

 それにしても、シラノを演じるというのは非常に難しい気がする。ちょっと間違えればくさいセリフになり、コメディになってしまう。聞くのと読むでは大違いだから・・・と考えると、サイレントで文字として読まざるを得ないというのが逆に良かったのかもしれない。