「真紅の文字」 ギッシュとシェーストレームのタッグ
ギッシュは、ナサニエル・ホーソーン原作の映画化「真紅の文字」(1926)にも出演している。ギッシュは、スウェーデンで活躍し、ハリウッドへやって来たヴィクトール・シェーストレームに監督を依頼した。ギッシュは監督との対話で演技をする役者で、シェーストレームはギッシュに合ったタイプだったため、ギッシュはシェーストレームを絶賛したと言われる。また共演にもスウェーデン人のラース・ハンソンを指名した。「真紅の文字」においても、性的描写は抑えられていたが、興行的にヒットしている。
ちなみに、リリアン・ギッシュもグリフィスもともに理想を追求するタイプで、読書家だった。2人ともホイットマンやホーソーンといったアメリカ文学を愛していたと言われる。また、かつてグリフィスが「国民の創生」(1915)で批判を浴びた際に検閲に対して戦ったが、MGM撮影所のボスであるメイヤーが教会と婦人団体の反対を理由に本作の映画化を拒否した際、リリアン自らが教会や婦人団体と交渉して映画化を実現させている。
グリフィスと別れても、グリフィスの精神はリリアン・ギッシュに宿り、受け継がれている。グリフィスの最高傑作は、「国民の創生」でも、「イントレランス」でも、「散り行く花」でもなく、リリアン・ギッシュかもしれない。
ちなみに、撮影中に母親が卒中で倒れ、残り2週間分の撮影を3日間で撮り上げて母の元へと向かったという。そのロサンゼルスからニューヨークへの列車旅行の際、新聞でギッシュの母の病気を知った人々が何百人も各駅のプラットホームに出迎えてくれたというエピソードが残っている。幸いにも、リリアンの母は持ち直し、一緒にロサンゼルスへ向かったという。さらに、かつての弁護士であり、リリアンに結婚を迫り、裁判(リリアンの勝訴)にまでなったロバート・デュエルが再び脅迫してきたが、リリアンは耐え忍んだという。
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