映画評「肉体と悪魔」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]FLESH AND THE DEVIL  [製作・配給]メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)

[監督]クラレンス・ブラウン  [原作]ヘルマン・ズーデルマン  [脚本]ベンジャミン・F・グレイザー  [撮影]ウィリアム・H・ダニエルズ  [美術]セドリック・ギボンズフレデリックホープ 

[出演]ジョン・ギルバート、グレタ・ガルボ、ラース・ハンソン、バーバラ・ケント、ウィリアム・オーラモンド、ジョージ・フォーセット

[賞]アメリカ国立フィルム登録簿登録(2006年)

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 兵役についているレオとウルリッヒは幼き頃からの親友同士。レオはフェリシタスという謎の女性と出会い恋に落ちるが、フェリシタスは夫がいた。レオはフェリシタスの夫と決闘をして、フェリシタスを殺す。その後、軍からアフリカ行きを命じられたレオが戻ってくると、フェリシタスは親友のウルリッヒと結婚していた。

 「肉体と悪魔」を今語るとき、やはいグレタ・ガルボが中心となるだろう。スウェーデンからハリウッドへやって来たガルボが、一気にブレイクしたのが「肉体と悪魔」である。だが、当時はルドルフ・ヴァレンティノの後継者と言われるほどの人気を得ていたジョン・ギルバートの方が役者としては格上で、ガルボは無名といってもいいくらいだった。そのため、ポスターなどで、当然ギルバートの方が扱いの方が大きかったものの、ガルボも大きく扱うことにギルバートが同意したことに、ガルボは感謝したという話がある。また、2人は当時実生活でも恋人同士だったとも言われている。

 映画を見ると、ガルボは決して主役ではない。主役はギルバートとハンソンの2人の友情だと言ってもいいだろう。そのため、映画が始まってからしばらくガルボは出てこない。描かれるのはギルバート演じるレオと、ハンソン演じるウルリッヒの友情物語である。

 ガルボ演じるフェリシタスが出ると、映画は一気に色を変える。当時21歳だったガルボは、そうは感じさせない仕草と表情で、10歳近く年上のギルバートを常にリードしているように見える。2人が夜を共にするとき、フェリシタスは上からレオにキスをする。レオは完全に手玉に取られている。

 フェリシタスは悪女役、いわゆる「ヴァンプ」「ファム・ファタル」と言われる役柄である。ポーラ・ネグリしかり、外国からやって来た女優はヴァンプ役で売り出されることが多かった。ガルボも例に漏れなかったということだろう。ヴァンプ映画は数多くあるが、「肉体と悪魔」のガルボほど、ナチュラルな悪女は見たことがない。それは、ガルボ自身の美しさが神秘的、言葉を変えれば魔性的だからであろう。

 もちろん、ガルボだけの力でここまで見事に魔性の女を映像化できるわけではない。映画の途中から登場させるという脚本のうまさもあるし、少し紗の入ったような映像にもある。また、フェリシタスとレオが初めてキスをするシーンでは、その前に顔を近づけた2人の語る様子を映し出しながら、スポークン・タイトルが極端に少ない。もしかしたら、文字にするとあまりにも陳腐な言葉を語っているかもしれない2人が、何を言っているかわからないがゆえに、まるでガルボが魔法の言葉を囁いて相手を虜にしているかのような神秘さが感じられる。サイレント映画ならではの名ラブ・シーンと言いたい。

 ストーリーは、この後に作られる多くのハリウッド製ファム・ファタル映画がそうであるように、罪を償うようなフェリシタスの死がすべてを解決する。肉体を通じて2人の男たちの人生を破滅させようとした悪魔は去っていったというわけだ。

 ストーリーはファム・ファタル映画の変形であり、とりたてて取り上げるところはないかもしれない。だが、「肉体と悪魔」は、グレタ・ガルボという逸材と、それを見事に使いこなしたクラレンス・ブラウン監督によって、見事な映画となっている。そして、ガルボの神秘性に見事に翻弄されてみせることで、ガルボの魅力を引き立てることに成功しているジョン・ギルバートとラース・ハンソンの2人の存在も大きい。

 映画の魅力は様々なところにある。写真が動くこと自体の魅力から始まった映画は、D・W・グリフィスらによって物語を語る魅力を放つようになった。そして、「肉体と悪魔」を見ると、どんなストーリーでも、どんな役柄でもスターの魅力を放つこともできるようになったように感じられる。

 メアリー・ピックフォードは大衆が望むキャラクターを映像化してスターとなった。リリアン・ギッシュはストーリーに自らの演技力を溶けこませることでスターとなった。それに対し、グレタ・ガルボはグレタ・ガルボであるためにスターとなった。大げさにいうと、「肉体と悪魔」はそう思わせるものがある。