映画評「真紅の文字」

※ネタバレが含まれている場合があります

[製作国]アメリカ  [原題]THE SCARLET LETTER  [製作・配給]メトロ=ゴールドウィン=メイヤー(MGM)

[監督・製作]ヴィクトル・シェーストレーム  [原作]ナサニエルホーソン  [脚色]フランシス・マリオン  [撮影]ヘンドリック・サートフ  [編集]ヒュー・ウィン  [美術]セドリック・ギボンズシドニー・ウルマン

[出演]リリアン・ギッシュ、ラース・ハンソン、ヘンリー・B・ウォルソール、カール・デイン、ウィリアム・H・トゥーカー

 夫が行方不明になったヘスターは、恋に落ちた牧師との間の子供を生む。戒律が厳しい清教徒の町であるボストンではヘスターの行為は許されることではなく、ヘスターは姦淫を意味する「A」の文字を服に縫い付けて生きていくことを命じられる。

 キリスト教徒からの反対を恐れて製作をためらう会社側を説得するために、ギッシュ自らが市民団体などと交渉して製作にこぎつけたというだけあって、ギッシュは(他の作品と同じように)見事な演技を見せてくれる。よく考えると、主人公のヘスターは自分から牧師を誘惑する女性であり、これまでギッシュが演じてきたヒロインがどちらかというと受身で不幸に巻き込まれていくのに対して、積極的に行動するタイプの女性である。ギッシュはこれまでとは少し違うタイプの女性を、時には艶かしく、時にはあどけなく、時には決然と演じてみせる。町を出ることを牧師と相談するシーンで、髪をほどいたギッシュの姿には上に挙げた全てがある。これまでにはなかったギッシュがそこにはいる。

 公開当時33歳だったリリアン・ギッシュは、それまでの可憐な少女役にはない役柄で、その演技力の確かさを見せつける。164センチの身長は決して低くはないのだが、なぜかギッシュは非常に小柄に見える。小柄に見える体に秘めた意思の強さは、見る者の胸を打つに十分だ。

 シェーストレームの演出もまた見事だ。閉鎖的なボストンの町(ロケはカリフォルニアで行われている)を描写しつつ、自然の中に自由な匂いも漂わせる。ヘスターと牧師が恋に落ちていくシーンが見事だ。画面奥へと歩いていく牧師をヘスターが追いかける。カメラは途中まで2人の様子を移動撮影で追うものの、途中で止まる。並んで歩くヘスターと牧師の姿は、道が曲がっているために木陰に一瞬隠れて、私たちの目から消える。すぐに現れた2人は手をつないでいる。

 スウェーデンからやって来た監督のヴィクトル・シェーストレームは、ハリウッドでは力を発揮できなかったと言われている。だが、ギッシュ主演作であるこの作品と「風」(1928)は成功作だったと言われている。それは、リリアン・ギッシュという女優を得たことと、ギッシュの映画作りに対する情熱と、それを実現させるだけのギッシュの人気がそうさせたのだろう。

 フランシス・マリオンの脚色は、ホーソンによる原作をギッシュ演じるヘスターの愛の物語へと単純化し、それによって映画としての成功に導いているように思われる。マリオンの脚色が最も成功していると感じたシーンがある。それは、子供を産んだヘスターが、多くの人々に囲まれて断罪されるシーンだ。そこで牧師はヘスターに父親の名前を明かすようにと言う。だが、ヘスターは父親を愛しているからと言って断固拒否する。ヘスターは大勢の人々の前で、牧師への愛を大声で叫んでいる。だが、それを知っているのは、2人だけだ。そこには多くの町の人々がいるにも関わらず、世界は一瞬だけ二人だけのものとなっている。

 ヘスターの牧師への変わらぬ愛の物語である一方で、牧師の罪の意識の物語でもあることは忘れてはならないだろう。弱さから自分がヘスターの父親だと名乗れず、その罪の意識から自らの体に焼きゴテで刻印する(モノクロで分からないが、牧師が皮膚に焼き付けた痕は、赤いことだろう)。ヘスターが愛の力を信じる正統的なメロドラマのヒロインだとしたら、牧師は原作の持つ罪悪や神といったテーマを映画にもたらす役柄といえる。リリアン・ギッシュは当時大スターであった。ラース・ハンソンもスターだったとはいえ、ギッシュの名声と比べると子供のようなものである。そんなこともあり、ラース・ハンソンが演じた牧師の役柄は決して大きくなく、テーマも膨らんでいるわけではないが、映画に確実に刻印されている。

 この作品が、埋もれているのはもったいない。「真紅の文字」は、サイレント期を代表する女優の1人と、サイレント期を代表する監督の1人が、古典を題材にして作られた、名実共に「クラシック映画」である。

真紅の文字 [VHS]

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