映画評「聖山」

※ネタバレが含まれている場合があります

聖山 [DVD]

[製作国]ドイツ  [原題]DER HEILIGE BERG  [英語題]THE HOLY MOUNTAIN  [製作]Berg- und Sportfilm、ウーファ  [配給]ウーファ

[監督・脚本・編集]アーノルド・ファンク  [撮影]ハンス・シュネーベルガー、ゼップ・アルガイヤー、アルベルト・ベニッツ、ヘルマー・レルスキー

[出演]レニ・リーフェンシュタール、ルイズ・トレンカー、エルンスト・ペーターセン、フリーダ・リヒャルト、フリードリッヒ・シュナイダー、ハンネス・シュナイダー

 登山家のカールと、スキーの選手であるヴィゴは友人同士。ダンサーの女性ディオティマはカールを愛しているが、ヴィゴにも弟に対するような愛情を抱いている。カールはある日、ディオティマが他の男性といるところを見てショックを受け、ヤケになったかのように危険な断崖絶壁を登ることを決意する。

 1920年代に、「山岳映画」と呼ばれるジャンルが流行した。山岳映画とは、文字通り山を舞台にした映画のことである。その山岳映画を確立したのが、「聖山」の監督であるドイツ人のアーノルト・ファンクと言われている。当初は山についてのドキュメンタリーを製作したファンクは、「聖山」によって劇映画に乗り出している。

 ストーリーは通俗的なメロドラマと言っていいだろう。エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの「アルプス颪」(1919)とは、山や恋愛を扱っている点に、「聖山」との共通点を見い出すことができる。だが、シュトロハイムの興味の中心が「人間」であるのに対し、ファンクの興味の中心が「自然」である点が異なる。

 メロドラマよりも「聖山」が焦点を当てているのは、山や自然そのものである。ロケを多用して撮影されており、山、雪、風といったものが、当時の多くの作品にはないリアリティで映画に焼き付けられている。当時の撮影技術では困難だったと思われる雪山での撮影は、見事だ。

 上映時間の多くがドラマの進展ではなく、「自然」に費やされている。雪山を登る男たちの様子、吹雪の中を歩くディオティマの様子、ジャンプ競技の様子、クロスカントリー競技の様子・・・こういった要素が、ドラマよりも大事だと言わんばかりに時間をかけて描かれている。それは、人間と自然の関わり方を、ストーリーではなく映像で表現していると言えるだろう。時に人間の力を証明する舞台として、時に人間の身体性を発揮する場所として、時に人間には決して勝つことのできない試練として。

 ファンクは、山を神格化する一方で、同じように人間にも興味をおいているかのようだ。だが、シュトロハイムが「心理」に興味をおいているのに対して、ファンクは見た目の「動き」に興味を置いているように感じられる。その最も象徴的な存在なのが、レニ・リーフェンシュタールが演じているディオティマだろう。元々はバレエ・ダンサーだったリーフェンシュタールを、ファンク自身が見初めて映画に参加させたというだけあって、ディオティマのダンスを、あるときは海辺で、そしてあるときは舞台で、あるときはシルエットで、そしてあるときは真正面から切り取っている。その美は、ファンクが人間に対して感じている存在意義を映し出しているかのように神格化されているが、そのディオティマですら猛吹雪の前では髪の毛を凍らせて、何とか一歩一歩進んでいくことしかできない。

 レニ・リーフェンシュタールはいわずと知れた、後にヒトラーに見い出されて、「意思の勝利」「オリンピア」2部作と言った作品を監督することになる人物である。心理ではなく形式を重視したリーフェンシュタール作品の特徴は、「聖山」にも見ることができる。リーフェンシュタールの形式重視は、ファンクからある程度影響を受けているかもしれないが、あくまでもファンクは、山への崇拝から来ているように感じられる。

 「聖山」の形式重視を、ナチスにつながるドイツの特質と捉えることは簡単だ。だが、当時のドイツの映画が、すべて形式のみを重視されて作られているわけではない。むしろ、ムルナウの「最後の人」(1924)「タルチュフ」(1925)は、形式よりも心理を優先させているように思われる。

 「聖山」は、山岳映画というジャンルとして見るのも、それはそれで正しいことなのだと思う。だが、形式を重視した映画として捉えると、当時製作された他の映画群とは異なる形式の魅力を備えた映画だと言えるだろう。少なくとも、神秘的な雰囲気と通俗的なメロドラマの奇妙な融合は、他の作品には見られないものである。

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