「ジャズ・シンガー」 トーキー時代の到来
1926年に、サウンド版「ドン・ファン」と音楽や歌を同期させた短編を上映し、大成功を収めたワーナー兄弟は、トーキーに社運をかけることにした。そうして公開されたのが、「ジャズ・シンガー」(1927)である。
主演は、ブロードウェイで絶大な人気を誇っていた歌手のアル・ジョルソン。ジョルソンはユダヤ系移民として初めて、エンターテイナーとして成功した人物であり、客席と観客を近づけるための花道を最初につくった人物である。かつて、D・W・グリフィスがジョルスンに映画出演させようとしたが、実現しなかった。また、元々はジョルスンではなく、ジョージ・ジェッセルが起用されたが金銭面で折り合わず、ジョルスンの起用となったのだという。
勘違いされがちだが、「ジャズ・シンガー」は完全なトーキー映画ではない。「お楽しみはこれからだ(You ain’t heard nothin’ yet.)」という、舞台でいつもジョルスンが使っていたセリフを発するが、その他はいくつかのセリフをしゃべるだけで、後は歌のシーンが録音されていただけだった。当初トーキーは、音楽の効果のために利用しようとしたが、この後セリフの活用へと変わっていくことになる。
「ジャズ・シンガー」は、設備が整っていなかったため、トーキー版で上映した映画館が少なかったにも関わらず、大ヒットとなった。アレグザンダー・ウォーカーは「スターダム」の中で、「ジャズ・シンガー」の成功はトーキーのためだけではないと指摘している。ユダヤ移民の青年が黒人の扮装でミュージック・ホールのスターとなる物語には、「ユダヤ人の伝統」「ショー・ビジネス界の感傷」「母性愛」という3つのテーマが貫かれており、それが観客に受け入れられたという(それは、ワーナー兄弟、アドルフ・ズーカー、カール・レムリ、ウィリアム・フォックスらの物語にも似ていた)。また、元々はサムソン・ラファエルソンの書いたブロードウェイのヒット作であったという点も忘れてはならない。
「ジャズ・シンガー」は興行収入350万ドルの大成功となり、弱小映画会社だったワーナー・ブラザースは、一流映画会社へと浮き上がった。しかし、トーキー路線を進めたサム・ワーナーは、「ジャズ・シンガー」のプレミア・ショーの24時間後に39歳の若さにもかかわらず、過労で死去した。サムは文字通り命をかけて「ジャズ・シンガー」を送り出したのだ。ワーナーは以後、長兄ハリーが財政面を、末弟ジャックが製作を担当したが、二人は仲が悪かったという。
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