1928

トーキーの産業的背景と、トーキーでの映画製作

トーキーの出現は、映画界において一大事だった。映画はそれまで、フィルム(化学工業)と、撮影機・映写機(機械工業)の合成体だったが、トーキーになることでそこに「電子工業」を組み込むことになった。こうして、映画産業は複雑な構成体となり、トーキ…

MGMもトーキー製作へ

ワーナーの躍進は、当時の大映画会社MGMも動かした。社長のニコラス・スケンクは、300万ドルを支出して、劇場の全チェーンにトーキー装置を施した。そして、製作担当のルイス・B・メイヤーと協議の上、トーキー映画の製作を決めた。 MGMは、パラマ…

RKOレディ・ピクチャーズの設立

ワーナーの成功は新たな映画会社の設立を促した。それが、RKOレディオ・ピクチャーズである。 RKOレディオ・ピクチャーズの設立の経緯は複雑だ。元となっているのは、FBOとRKOという2つの会社である。 FBOは、配給会社だったミューチュアルが…

ワーナーの躍進 一流会社の仲間入り

1927年に公開された「ジャズ・シンガー」(1927)は大ヒットとなり、製作したワーナーはトーキー映画を続けて製作した。「テンダーロイン」(1928)は、全部で12分から15分の会話が4,5ヶ所に分かれて突然現れるというもので、批評家の反応…