RKOレディ・ピクチャーズの設立

 ワーナーの成功は新たな映画会社の設立を促した。それが、RKOレディオ・ピクチャーズである。

 RKOレディオ・ピクチャーズの設立の経緯は複雑だ。元となっているのは、FBOとRKOという2つの会社である。

 FBOは、配給会社だったミューチュアルが、1922年にフィルム・ブッキング・オフィス・プロダクション(FBO)に改名し、製作に進出した会社である。第一次大戦後にニューイングランドで映画館経営をしていた、ジョゼフ・P・ケネディ(ジョン・F・ケネディの父)を社長に迎えて活動を行っていた。

 一方RKO(レディオ・キース・オフィアム・コーポレーション)は、RCA(レディオ・コーポレーション・オブ・アメリカ)の子会社である。RKOは、興行会社キース・アルビー・シアター・サーキットを買収して大きくなっていた。さらに、FBOを取り込み、RKOレディオ・ピクチャーズ・インコーポレイテッドが誕生した。

 こうしてRKOレディオ・ピクチャーズは、トーキーの技術を持った、興行・配給・製作の各部門を備えた映画会社として、映画界に登場したのだった。

 RKO設立には裏話がある。RCAは独自のトーキー方式「フォトフォン」を完成させ、映画界に売り込んだが採用されなかった。そのため、RCAは独自に映画進出をすることになったのである。