2009-11-01から1ヶ月間の記事一覧

 ソ連 レフ・クレショフと映画実験工房

国立映画学校の教授となっていたレフ・クレショフは、才能溢れる人々を集めて「クレショフ映画実験工房」を設立している。クレショフ夫人でもある女優のアレクサンドラ・ホフーロワ、俳優から監督となったフセヴォロド・プドフキンやセルゲイ・コマーロフや…

 その他のフランス映画 1921年

そのほかにフランスでは、フィルムに1コマずつに色を塗っていくタイプの色彩映画「三仮面」(1921)が作られている。フランス映画初期を代表する名優アンリ・クロースが自ら監督・脚本を務め主演したドラマである。コルシカの名家の一人息子は、下女の…

 フランス パテ社の映画製作の再開

かつて世界の映画産業の頂点に君臨していたパテ社は映画製作を放棄し、興行・配給を行うパテ・コンソルシウム社と、生フィルム工場の運営などを行うパテ・シネマ社に分割されていた。 パテ社の映画製作放棄の戦略は徹底されなかった。1921年には、パテ・…

 フランス アンドレ・アントワーヌの自然主義への挑戦

映画への自然主義の導入を目指したフランスのアンドレ・アントワーヌは、「ラ・セグリエール家のお嬢さん」(1921)を監督している。貴族の物語であり、城館で撮影を行ったという。他にもアントワーヌは、エミール・ゾラ原作の「大地」(1921)や「…

 フランス ジャック・フェデーの「女郎蜘蛛」

印象主義とは一線を画し、商業的なフランス映画を監督していたジャック・フェデーは、1921年に公開された「女郎蜘蛛」(1921)で名を上げている。 「女郎蜘蛛」は、サハラ砂漠に迷い込んだ外人部隊の士官と謎の宮殿に住む淫蕩な女王を描いたベストセ…

 フランス ルイ・デリュックの評言

「狂熱」(1921)を監督したルイ・デリュックは、著書「フォトジェニー」の中で「フォトジェニー論」を提唱し、「新しい印象主義芸術に言いつくされている」と映画を規定した理論家でもあった。 デリュックは、12年間で20冊の著書を出版し、大衆組織…

 フランス印象主義派の活躍 ジェルメーヌ・デュラック

第一次大戦中に監督デビューし、独立プロD・H社で拘束を受けずに映画を製作していたジェルメーヌ・デュラックは、サイレント映画時代において世界でも数少ない女性監督の1人だった。そんなデュラックは、「つれなき美女」(1921)や、「太陽の死」(…

 フランス印象主義派の活躍 マルセル・レルビエ

ルイ・デリュックと同じくフランス印象派の1人と言われるマルセル・レルビエは、探偵の登場するアメリカの連続映画のパロディーである(レルビエには笑いの感覚はあまりなかったために出来は悪いとされる)「運命荘」(1921)や、プロメテウスの神話を現…

 フランス印象主義派の活躍 ルイ・デリュック

フォトジェニー論を提唱し、自らも作品で実践していたフランス印象主義派の旗手ルイ・デリュックは、マルセイユの酒場に集った30人の個人の心理ドラマである「狂熱」(1921)を発表している。 「狂熱」(1921)の予算は少なく、デリュックは友人た…

 トップ俳優たちの活躍

一人前になる体験に直面してしり込みする若者を演じ続け、スターの座を保持し続けていたチャールズ・レイは、同じような役柄の「懐かしの泉」(1921)に出演している。この作品は無字幕で構成されており、秀作と評されている。 自身のプロダクションで映…

 トップ監督たちの活躍

ジョージ・ローン・タッカー(1921年に死去)監督の「ミラクルマン」(1921)は、主演のロン・チャニーが素晴らしい演技を見せ、国際的な大ヒットを収めている。 ルドルフ・ヴァレンティノがスターとなった「黙示録の四騎士」(1921)を監督した…

 ハル・ローチ、マック・セネット・・・コメディのプロデューサーたち

ハロルド・ロイドを売り出したハル・ローチは、1921年に子供たちが出演する「アワ・ギャング」シリーズを作り出し、ヒットを飛ばしている。 かつてキーストン社を主宰し、スラップスティック・コメディの祖であるマック・セネットは、「三等客室から迷い…

 バスター・キートンの短編と結婚

バスター・キートンは、1921年の途中に配給会社をメトロからファースト・ナショナルへと変え、2巻物の短編コメディ製作を続けていた。 メトロでは「化物屋敷」「ハード・ラック」「悪太郎」(1921)といった作品に出演している。 ファースト・ナショ…

 チャールズ・チャップリンの「キッド」

チャールズ・チャップリンの15ヶ月ぶりの新作となる「キッド」(1921)が公開されている。 「キッド」は1年以上かけて撮影が行われ、30万ドルをチャップリン自身が投資し、17万メートルのフィルムが使用されたと言われている。 ジョルジュ・サドゥ…

 トマス・H・インス時代の終わり

ロシア革命が起こって間もないこの頃、アメリカ政府はハリウッドに反ボリシェヴィキ運動に参加するように求めたと言われている。そんな中、トマス・H・インスは、ボリシェヴィキが人々を虐殺する様子を描いた「危険な時間」(1921)を製作している。一…

 ピックフェアの活躍 「三銃士」「小公子」・・・

コスチューム・プレイの路線を進んでいたダグラス・フェアバンクスは、アレクサンドル・デュマ原作の「三銃士」(1921)に出演し、快男児ぶりを徹底的に発揮している。「奇傑ゾロ」(1920)も担当したフレッド・ニブロが監督している。クライマックス…

 セシル・B・デミルのセックス・アピール映画 「アナトール」「禁断の果実」

セックス・アピール映画を監督し、人気監督として定着していたセシル・B・デミルは、「アナトール」「禁断の果実」(1921)で、都会の男女の風俗を描いた作品を監督している。 「アナトール」ではベーブ・ダニエルズが強烈な誘惑者として登場し、コメディ…

 エリノア・グリンのお墨付き

ルドルフ・ヴァレンティノは圧倒的な人気を得たが、その助けを行ったと言われる人物にエリノア・グリンがいる。 もともと恋愛小説家として有名だったグリンは、その名声を欲しがったハリウッドに招かれて、脚本家となっていた。ハリウッドはグリンを利用して…

 「シーク」 更に高まるルドルフ・ヴァレンティノの人気

「黙示録の四騎士」(1921)でスターとなったルドルフ・ヴァレンティノは、自身を主役に推薦してくれた恩人の脚本家ジューン・マジスと共に、パラマウントに移籍する。パラマウントへと移籍したヴァレンティノは、続けて「シーク」(1921)に出演して…

 ルドルフ・ヴァレンティノの華麗なる登場 「黙示録の四騎士」

純朴なイメージのリチャード・バーセルメスの代表作「乗合馬車」(1921)が公開されたこの年、バーセルメスのイメージと正反対とも言える魅力で、大人気を得ていくスターが表舞台に立つ。「グレート・ラヴァー」の愛称で人気を呼ぶことになるルドルフ・ヴ…

 リチャード・バーセルメスが作り上げたアメリカ青年のイメージ

D・W・グリフィス監督作でスターとなり、その後ヘンリー・キングと独立プロを設立していたリチャード・バーセルメスは、代表作ともいえる「乗合馬車」(1921)を製作、自らが主演している。「乗合馬車」の純朴な青年デイヴィッド役にはバーセルメスのイ…

 「嵐の孤児」とグリフィス=ギッシュコンビの解消

D・W・グリフィスはこの年、「夢の街」「嵐の孤児」(1921)といった作品を監督している。 「散り行く花」(1919)を思わせる内容の「夢の街」は、映写機に取り付けた装置を使ってセリフと音楽を映像に同期させることに挑戦した作品だが、失敗に終…

 ロスコー・アーバックルを擁護した人々

告訴されたアーバックルは、その後の裁判で事故と認められて無罪となった。ちなみに、このときアーバックルの弁護団のために情報を集めたのは、サンフランシスコのピンカートン探偵社に勤めていた頃のダシール・ハメット(後のハードボイルド小説家)だった…

 ハリウッドの笑いが止まった日 ロスコー・アーバックル事件

当時のハリウッドでは毎夜パーティが開かれ、土曜の夜には25くらいのパーティが開かれていたと言われている。ハリウッドはまだ田舎で他に遊ぶ場所も無かったためや、女優を目指してハリウッドに多くの美女やってきていたためである(1919年から192…