「イントレランス」の公開と興行的失敗

 1916年9月5日の「イントレランス」公開に際しては、新聞に大々的に広告が掲載され、ニューヨークのリバティ劇場には各界の名士が集まり、劇場は何千人というファンに取り囲まれた。最初の4週間は同劇場の持つ「国民の創生」(1915)の記録を破った。だが、成功はそこまでだった。最初の1週間が過ぎると、興行収入はがた落ちとなり、興行的には失敗に終わった。

 興行的に失敗に終わった理由については多々言われている。

 グリフィスの採用した4つの物語を組み合わせた形式が、観客(特に労働者階級)の理解を不可能にした。グリフィスが不寛容に反論すると思ったエリートの観客たちが、むしろ不寛容な人間たちの側であったことを見誤った。第一次大戦が始まり、アメリカに参戦ムードが高まっており、不寛容というテーマが合わなかった(ワーナー兄弟は反ドイツ宣伝映画を作り、利益を上げていたという)。他の映画の監修も行っていたために、制作費が余計にかかってしまった。出演していたスターの名前で売らなかった(グリフィスはスターの売り出しに興味を持っていなかった)。

 上記のような理由が組み合わさって失敗したというのが本当のところなのだろうと思う。とにかく、興行的に失敗した「イントレランス」の経済的な責任はグリフィスにのしかかることになり、負債を返済した後も、グリフィスは経済的な制約を受けながら映画を製作していくことになる。



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