映画芸術科学アカデミーのもう1つの目的とウィル・ヘイズ

 1927年に設立された映画芸術科学アカデミーの趣旨は、別のところにあったとも言われている。MGMのルイス・B・メイヤーは、人件費の高騰とそれに伴う製作費の高騰に頭を悩ませており、労働組合が作られるのを恐れていた。先手を打って、自分たちが主導権を握る組織をつくり、映画業界の労働者を統括しようというのが、本当の趣旨だったとも言われている。

 これらの動きには、当時のMPPDA(アメリカ映画製作配給業者協会)会長だったウィル・ヘイズの功績も大きかったという。ヘイズは、過酷な労働条件に不満を持った俳優や技術者の組合と製作者たちを調停し、1926年には撮影所基本協定が組合と製作者間で調印されていた。

 ロバート・スクラーは、当時のウィル・ヘイズの功績について、「アメリカ映画の文化史」の中で次のように書いている。

「こうした調整のすべては、ウィル・H・ヘイズの功績として数え上げられるべきことであった。彼は、ハリウッド批判を黙らせもせず、業界への反対運動を終わらせもしなかった―もちろんそれは注文が過ぎるというものだろう―が、道徳面での立派な外観と友好的な労使関係をつくりあげて、スターの私生活と製作者の特権を従来のままに保つことに成功したのである」

アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

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