映画前史を書くにあたって

 これから、映画前史について書きます・・・と言っても、映画前史は幅が広すぎて、どこまで書けばいいのかわからないほどだ。

 どういうことかというと、撮影機・映写機といった機械が完成するまでも映画前史だし、劇場に人を集めてスクリーンに投射されたものを見るという文化の歴史も映画前史だから。また、今の映画のメインストリームである「物語を語るもの」という視点から考えると、文学も演劇も詩も、場合によっては音楽も映画前史に含まれてくる。

 映画前史についての本を読んでいくと、機械が完成するまでの歴史についてが多い。だが、映画が世間に広まってからになると、機械についての記述が一気に減る。今の私たちも、機械について頭に入れながら映画を見ることなどほとんどない。

 ここでは、映画の機械の完成までの技術的な点はざっと書くにとどめたい。その上で、映画という存在がどのような流れの延長線上に産まれたものかについて書いていきたい。そこには、映画というメディアが持つ特性が色濃く見えてくるからだ。

 というわけで、とりあえずは機械についての歴史を次回から書いていく。