アメリカの映画製作(1906)

 アメリカでは、エジソン社が大掛かりな撮影所を建設している。エドウィン・S・ポーターは、引き続きエジソン社で働いており、この頃には映画製作部長兼芸術監修者となっていた。また、エジソンのライバル会社であるヴァイタグラフ社やバイオグラフ社も新しい撮影所を建設している。

 いずれの会社もニューヨークに新撮影所を建設した。当時のアメリカにおける映画製作の中心地はニューヨークだった。

 また、この年はエジソン社が再びバイオグラフ社を訴えていた裁判の判決が出て、エジソン社は敗訴し、控訴している。