1906

 フランス・パテ社の作品 1906年

「Aladin ou la lampe merveilleuse(アラジンと魔法のランプ)」 フランス・パテ社製作、アルベルト・カペラーニ監督。 「アラジンと魔法のランプ」の映画化。ジョルジュ・メリエスの作品の雰囲気によく似ている。撮影法も基本的には舞台上で演じられるものを…

 フランス ゴーモン社の作品 1906年

「LA NAISSANCE, LA VIE ET LA MORT DU CHRIST」(1906) 英語題「THE BIRTH, THE LIFE AND THE DEATH OF CHRIST」 製作国フランス Société des Etablissements L. Gaumont 監督アリス・ギイ キリストの誕生から処刑、再生までを描いた作品。10分弱の…

 ロバート・ウィリアム・ポールの作品 1906年

「The '?' Motorist」 イギリスの映画製作者、ロバート・ウィリアム・ポールによる作品だが、監督は別の人物。 自動車が警察官を轢き、ビルの壁をよじ登り、宇宙を旅する。 ジョルジュ・メリエス的なトリック撮影を使用したファンタジー。月の周りや土星の輪…

 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社の作品 1906年

「FROM LEADVILLE TO ASPEN: A HOLD-UP IN THE ROCKIES」 アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ社(後にバイオグラフ社となる)の作品。 とある駅。1人の男がカメラの方へとあわててやってくる。すると、カメラは徐々に前の方へと動き出す。映…

 ヴァイタグラフ社の作品 1906年

「HUMOROUS PHASES OF FUNNY FACES」(1906) 製作国アメリカ ヴァイタグラフ・カンパニー・オブ・アメリカ製作 監督・製作・出演J・スチュワート・ブラックトン 最初のアニメーション映画とも言われている。ブラックトンは、エジソン社の「THE ENCHANT…

 エジソン社の作品 1906年(4)

「A WINTER STRAW RIDE」 エジソン社の作品。エドウィン・S・ポーター監督。 馬が引っ張るソリに乗っている女性たち。そこに、雪球をぶつける男性たち。女性たちは男性たちを追いかけて、雪を顔にかけるなどして復讐する。 雪に浮かれて楽しむ若い男女の様子…

 エジソン社の作品 1906年(3)

「KATHLEEN MAVOURNEEN」 悪漢に目をつけられた女性が、悪漢とその仲間に誘拐されるが、恋人の活躍で奪還され、2人は結婚する。 当時、ポピュラーだった舞台劇の映画化だという。 ストーリーを追うのがなかなか難しい。特に、悪漢たちが警官の格好をして女…

 エジソン社の作品 1906年(2)

「SAN FRANCISCO:AFTERMATH OF EARTHQUAKE(大地震直後のサンフランシスコ)」 サンフランシスコで起こった大地震の後の大火災や、崩壊したビル、ひび割れた地面など、地震の傷跡を記録したフィルム。 地震の被害が記録されているという意味で貴重な作品。ビ…

 エジソン社の作品 1906年(1)

1906年頃にはニッケルオデオンブームが起こり、多くのフィルムが必要とされたが、エジソン社はその需要を満たす作品数を製作できないでいた。 「THE DREAM OF A RAREBIT FIEND(レアビット狂の夢)」 酒を飲みすぎた男が、部屋の中のものが自分から動い…

 日本映画(1906)

この年、エム・パテー商会という会社が設立されている。 エム・パテー商会は、南洋帰りの壮漢と言われた梅屋庄吉がボスで、輸入の特約を結んだフランスのパテ社の名前を社名に使った。梅屋は香港や南方で興行を行い、1906年(明治39年)に帰国したとき…

 その他(1906)

映画の巨大産業化は次第に進んでいた。 フィルムの焼付け工場も大規模なものが作られ、パテ社ではこの年、巨大な焼付け工場を建設し、1日4万メートルの現像が可能となった。5年ほど前まで、ジョルジュ・メリエスは1日100メートルほどしか現像できなか…

 長編映画の製作

世界初といわれる長編映画がこの年に作られている。作品名は「ケリー・ギャング物語」であり、作られた国はオーストラリアだった。 実在した無法者の生涯を映画化したこの作品は、上映時間が70分あり、当時の世界最長の映画だった。映画はヒットし、制作費…

 ニッケルオデオンの拡大

1905年より始まったニッケルオデオンの流行はこの年も続いており、後にハリウッドの大立者となるカール・レムリやマーカス・ロウもニッケルオデオンを開館させている。 レムリはシカゴにニッケルオデオンを開館させて、大儲けしている。開館から2ヵ月後…

 アメリカの映画製作(1906)

アメリカでは、エジソン社が大掛かりな撮影所を建設している。エドウィン・S・ポーターは、引き続きエジソン社で働いており、この頃には映画製作部長兼芸術監修者となっていた。また、エジソンのライバル会社であるヴァイタグラフ社やバイオグラフ社も新し…

 イギリス(1906)

イギリスでは、ロバート・W・ポールがジョルジュ・メリエスの影響が感じられる作品「“?”・モータリスト」(1906)を製作している。2分弱の短編の中に、トリックとアニメーションが駆使されており、イギリスの幻想映画の最初の作品といわれている。 イ…

 イタリア、ドイツ、デンマークなど(1906)

イタリアでは、前年(1905年)にイタリア最初の映画製作会社として誕生した「アルベリーニ・エ・サントーニ社」が、「恋するピエロ」(1906)や夢幻劇「黄金の魔法」(1906)やといった作品を製作している。「黄金の魔法」の公開に際しては、伴…

 ゴーモン社(1906)

ゴーモン社はこの年、それまでの合資会社レオン・ゴーモン商会から資本金250万フランの株式会社ゴーモン商会に改組している。ロンドンとニューヨークに支社を持つようになり、スイス・フランス銀行と結びついた。 映画製作は引き続き、アリス・ギイが中心…

 パテ社の好調

フランスのパテ社は引き続き好調だった。ニュース映画の分野では、再現した作品ではなく、本物の場面を撮影したニュース映画を製作するようになった。 トリック映画の分野では、この分野のパテ社の第一人者だったガストン・ヴェルがイタリアのチネス社へと移…

 ジョルジュ・メリエスの衰退

ジョルジュ・メリエスはこの年も、今までと同じようにトリック映画を製作している。「悪魔の400の悪ふざけ(「悪魔の大騒ぎ」)」(1906)は、主人公が黙示録に登場する馬が引っ張る馬車に乗って、地獄へと駆けていくという内容のもので、今までどお…