D・W・グリフィスの映画撮影

 「私は天才などではない。私同様に良い映画を作れる監督はたくさんいる。しかし、そういう人々は仕事にばかり没頭したがらないだろう。理由は簡単だ。来る日も来る日も映画の監督ばかりやっていては退屈でたまらないからだ。けれども、映画を学ぶためには敢えてその退屈なことをやらなくてはいけない。なぜなら私たちのうち誰一人として充分に映画を知っている人間がいないからだ。私が知っていることは僅かだ。それでもこうして働きながら学び続けてゆけるように願っている」

 これは、「リリアン・ギッシュ自伝」で紹介されていたリリアンがバイオグラフ社に入社した頃(1912年頃)のグリフィスの言葉だ。この言葉通り、グリフィスは働きまくったらしい。1日12〜14時間、7日間に渡って働いたといわれている。

 当時の撮影は、野外の敷地のステージで行われた。室内のシーンでも野外で撮影されたため、カーテンなどがはためいたこともあったという。グリフィスはリハーサルのときにシーンの時間の長さを測っておいて、撮影時に参照した(「映画の良し悪しを決めるのは、まずは長さとテンポだ」と言っていた)。グリフィスはリハーサルを終えると、周りのスタッフやキャストに気軽に意見を聞いた。グリフィスは気さくで和気藹々と撮影が行われたが、いざ仕事にかかると厳しかったという。

 グリフィスは役者同士を競わせ、切磋琢磨するように仕組んだという。わざと役者に嫉妬させるように別の役者に役を振ったり、別の役者をほめたりした。この方法もメアリー・ピックフォードには通用しなかった。ピックフォードだけがグリフィスのやり方を知り尽くして、平然としていたという。また、グリフィスは役作りのため、精神病院など普段は行けないところにも行かせた。

 撮影とは直接関係ないが、当時フィルムにつくスジやシミが当時問題となっていた。だが、その原因が分からず困っていた。それが指紋であることをグリフィスが指摘し、以後フィルムを扱うときは手袋をするようになったという。

 グリフィスが1912年に監督したその他の作品 「FOR HIS SON(息子のために)」、「THE SUNBEAM(日の光)」、「THE GIRL AND HER TRUST(彼女と彼女の信頼)」、「THE FEMALE OF THE SPECIES(女性)」、「ONE IS BUSINESS, THE OTHER CRIME(かたやビジネス、かたや犯罪)」、「THE LESSER EVIL(邪悪)」、「FRIENDS(友達)」、「THE PAINTED LADY(厚化粧の女)」、「THE BURGLAR'S DILEMMA(強盗のジレンマ)」



(映画本紹介)

リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

リリアン・ギッシュ自伝―映画とグリフィスと私 (リュミエール叢書)

D・W・グリフィスの主演女優としても有名なサイレント映画を代表する女優の一人であるリリアン・ギッシュの自伝。グリフィスについての記述がかなり多く、グリフィスを知る上で非常に役に立つ1冊。