中国 チャン・シーチュアンとチョン・チョンチュウ

 中国では、映画会社である亜細亜影戯公司の顧問だったチャン・シーチュアンが、演劇評論家のチョン・チョンチュウに協力を求め、新民公司を設立し、撮影を行った。亜細亜影戯公司が配給・興行を担当した。

 新民公司は、1913年より製作を開始し、中国初の劇映画「離夫離妻(ナンフーナンチー)」(1913)を完成させている。売買婚による不幸を描いた、封建制度を諷刺した革新的な内容だったという。

 その後、芸術性・社会性を追求するチョン・チョンチュウと、娯楽性を求めるチャン・シーチュアンの意見が対立し、チョンが去っている。チョンが去った後は、ドタバタ喜劇を中心とした短編劇映画が製作されたと言われている。



(映画本紹介)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

無声映画芸術への道―フランス映画の行方〈2〉1909‐1914 (世界映画全史)

映画誕生前から1929年前までを12巻にわたって著述された大著。濃密さは他の追随を許さない。