アドルフ・ズーカーとサミュエル・ゴールドウィンの野望

 1916年にアドルフ・ズーカーの「フェイマス・プレイヤーズ」と、ジェシー・ラスキーの「ラスキー・フィーチャー・プレイ」という2つの映画製作会社が統合し、「フェイマス・プレイヤーズ=ラスキー」が設立されている。

 「フェイマス・プレイヤーズ」「ラスキー・フィーチャー・プレイ」の両者とも、製作した映画をW・W・ホジキンソンのパラマウントを通して配給をしていた。ズーカーはそのパラマントからホジキンソンを追い出し、2,500万ドルでパラマウントを買い取り、巨大な映画製作・配給・興行会社であるパラマウントを作りあげていく。

 パラマウントは興行者たちに、長期にわたって上映番組を一括して賃貸するブロック・ブッキングシステムを受け入れさせた。5,000館(アメリカの映画館の4分の1)を包括するようになったが、興行者の抵抗により、1917年には比較的自由な体制に戻ったという。

 ちなみに、フェイマス・プレイヤーズ=ラスキーでは、サミュエル・ゴールドウィンが会長に就任していた。だが、ゴールドウィンは、ズーカーと対立して追い出されることになる。ズーカーはゴールドウィンを評して「サムは合議制というものを信じない男だった。あいつは、いつもお山の大将でいなければ気がすまなかったのだ」と語っている。

 ゴールドウィンはセルウィン兄弟とゴールドウィン社を作るも、兄弟とも対立していくことになる。ちなみに、当時ゴールドウィンは本名のサミュエル・ゴールドフィッシュを名乗っていたが、この会社名が気に入ったため、自分の名前としたのだという。

 ちなみに、フェイマス・プレイヤーズはこの年「SNOW WHITE(白雪姫)」を製作している。