チャップリンがエッサネイからミューチュアルへ移籍

 チャールズ・チャップリンはエッサネイ社に所属していた時代に人気をさらに高めたものの、エッサネイ社との関係は必ずしも良好とは言えなかった。

 「珍カルメン」(1916)は、セシル・B・デミルが監督した映画のパロディである。2巻物として製作したが、セット費を償却するためにプロデューサーは4巻ものにすることを要求したという。

 チャップリンは6巻ものの悲劇「人生」を製作しようとし、4週間撮影を行ったが、延びる製作日数に恐れをなしたエッサネイの幹部が完成させなかった。(のちに、チャップリン抜きで撮影されたフィルムと組み合わせたごった煮作品である「チャップリンの義侠」(1918)としてエッサネイ社から公開される)

 エッサネイ社としては、チャップリンとの関係が必ずしもしっくりといっていなかったとしても、チャップリンを手放すにはその絶大な人気は惜しいものだった。そこで、年俸50万ドルによる契約延長をチャップリンに申し出た。だが、チャップリンが選択したのは、週給1万ドルと15万ドルの契約料を提案したミューチュアル社だった。エドナ・パーヴィアンスらの俳優や、撮影のローランド・トサローらも、エッサネイからミューチュアルに移籍した。

 「珍カルメン」の他に1916年にエッサネイから公開された作品には、「チャップリンの改悟(チャップリンの改心)」がある。

チャップリン自伝 上 ―若き日々 (新潮文庫)

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