ピックフォード、早川雪洲・・・ビッグ・スターたちの動き

 メアリー・ピックフォードはフェイマス・プレイヤーズ=ラスキー傘下のアートクラフト社の映画に出演した。アートクラフト社は、ピックフォード作品専門の配給会社だったが、後に他の俳優の作品も配給するようになる。

 1915年に「チート」で大スターの仲間入りした早川雪洲は、1916年に青木鶴子と「異郷の人」に出演している。この映画は東京では1週間で上映禁止となっている。日本人の若い女性の軽佻浮薄を表現しているというのがその理由だった。

 1915年にセシル・B・デミルの「カルメン」をヒットさせたジェラルディン・ファーラーは、同じくデミル監督の「ジャン・ダーク」(1916)に出演している。当時としては莫大な30万ドル以上をかけて製作された歴史劇で、火刑にされるファーラーのポスターが世界中に貼られ、60万ドル以上の収入を上げた。また、同じデミル&ファーラーのコンビで「マリア・ローザ」という作品も作られている。

 「愚者ありき」のウィリアム・フォックスの巧妙な宣伝によってスターとなっていたセダ・バラには、ヴァレスカ・スラット、グラディス・ブロックウェルといったまねをした相手が現れていた。そんな中、セダ・バラは「ロミオとジュリエット」(1916)や、大規模なスペクタクルである「神の娘」(1916)に出演している。

 「ポーリン」(1914)「拳骨」(1915)といった作品で、連続活劇の女王となっていたパール・ホワイトは、これまた連続活劇である「鉄の爪」(1916)に出演している。

 ちなみに、まだスターとは言えなかったが、キーストン社で知り合ったウォーレス・ビアリーグロリア・スワンソンがこの年結婚しているが、後に破局している。原因は、妊娠したスワンソンにビアリーが嘘をついて堕胎薬を飲ませたためと言われている。