連続映画「JUDEX」映画評

 ゴーモン社製作 ルイ・フイヤード監督

 「連続映画」の名手と言われるルイ・フイヤードの代表作といえば、「ファントマ」(1913)や「LES VAMPIRES」(1915)の名前が挙がるのが一般的だ。この作品は、そんなフイヤードが「LES VAMPIRES」が悪の組織をかっこよく描きすぎているという批判に応えて監督された映画と言われている。

 映画の前半は「LES VAMPIRES」を思い出させる。殺人、誘拐をサスペンスフルに描き、大げさな設定や荒唐無稽な小道具で盛り上げるという手法を駆使している。しかし、主人公のジュデックスは父親を破滅させた銀行家への復讐のために、誘拐といった犯罪的な手法を行っている。「LES VAMPIRES」が、悪いことをすることが目的で悪いことを行っているように見えるのとは異なり、ジュデックスの行動は正当化されている。

 ジュデックスが父親の敵である娘に恋をしてしまってからは、特に犯罪的な要素は目立たなくなり、メロドラマ的な要素が強くなる。ここにジュデックスの恋に反対する母親まで登場するわけだから、ホームドラマの様相まで呈してくる。

 「連続映画」というと、サスペンスとアクションで見るものを楽しませるという印象が強い。しかし、この作品はそんな「連続映画」のイメージとは異なっている。この作品はメロドラマ的な魅力を持った「連続映画」も作られていたことを私たちに教えてくれる。

 メロドラマ的な魅力が強いこの作品だが、メロドラマ一色ではない。「LES VAMPIRES」のような犯罪的な魅力も保持している。「LES VAMPIRES」でイルマ・ヴェップを演じたミュジドラが、前作と同じように悪いことをすることが目的の女性ダイアナを演じている。また、「LES VAMPIRES」でコメディ・リリーフ的な役回りを見せた役者も、役柄としては小さくなっているものの再び同じような役回りを演じている。

 「LES VAMPIRES」の保持していた魅力も散りばめながら、新たにメロドラマ的な魅力を持った映画がこの作品といえるだろう。しかし、あまりにも多くのものを詰め込みすぎてしまい、それぞれが中途半端になってしまっている感が否めない。また、サスペンス、アクション、コメディ、メロドラマと、各要素を成立させている人物の人数が多過ぎて、前作のマザメッティのように1人の人物を掘り下げて楽しませてくれるということが今回は無かったようにも思える。

 この作品のラストはかなり強引だ。愛の力を信じた者は、かつての罪を洗い流されてすべてが許され救われる。一方で、愛の力を信じなかった悪者たちは、無残に死んでいくことになる。「LES VAMPIRES」の批判に応えて作られたというこの作品の形は、少しいびつだ。