トライアングル社の清算と監督システムの放棄

 1915年に設立され、D・W・グリフィスやトマス・H・インス、マック・セネットといった映画製作者を擁して躍進したトライアングル社だが、1917年6月には映画の製作を中止し、暮れには清算されてしまうこととなった。要因の1つには、グリフィスの「イントレランス」(1916)の失敗もあるという。

 トライアングル社の事業はパラマウント社へと引き継がれ、グリフィス、インス、セネットといった映画製作者や俳優たちもパラマウントへと移っていった。

 トライアングル社の清算は、アメリカ映画が監督中心からスター中心へと移行していくことを如実に表した事件として、ジョルジュ・サドゥールは次のように語っている。

 「1917年のトライアングル社の消滅とパラマウント社によるその吸収は、現実のアメリカ映画のそれであるスター・システムによる監督システム(インス=グリフィス=セネット)の放棄を是認したのであった」(「世界映画全史」)

 1917年から1918年にかけて、スター・システムがアメリカ映画の中心となっていく。スター・システムはパラマウント社、セルズニック社、メトロ社、ゴールドウィン社で基本原則となっていくことになる。ジョルジュ・サドゥールはスター・システムについて否定的で、次のように語っている。

 「芸術として生まれたばかりの若きアメリカ映画は、特にスター・システムのせいで、ただちに紋切型に陥ってしまったのである」(「世界映画全史」)



(映画本紹介)

アメリカ映画の大教科書〈上〉 (新潮選書)

アメリカ映画の大教科書〈上〉 (新潮選書)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈1〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)