MPPCの完全なる終焉とアメリカ映画の発展

 エジソン社を中心として結成された映画会社のカルテルであったMPPCは、すでに崩壊していた。ルービン社、シーリグ社は1917年に消滅した。ヴァイタグラフ社も1916年に100万ドルの損失を出していた。

 さらにこの年MPPCは、反トラスト法によって違法宣告を受け、名実共に完全なる終焉を迎える。MPPC陣営の映画を配給していたジェネラル・フィルム社も1917年に活動を停止し、1919年には解散する。ヴァイタグラフ社では創業者であるスチュアート・ブラックトンが排除され、新ヴァイタグラフ社となった。

 エジソン社は、1917年に子供向け映画を専門とするコンクェスト・ピクチャー社へと変わるが、1918年に閉鎖し、エジソンは映画から離れることとなる。そんなエジソン社はこの年、野球を題材にした「ONE TOUCH OF NATURE」(1917)や、運河の記録映画「DOWN THE OLD POTOMAC」(1917)、南アフリカを記録した「GOLD AND DIAMOND MINES OF SOUTH AFRICA」(1917)などを製作している。

 MPPCは終焉したが、アメリカ映画は第一次大戦の影響を受けず発展を続けた。1917年と18年には千本以上の長篇劇映画が製作された(その後は年間400本〜800本が製作されていく)。

 第一次大戦アメリカ映画の発展を妨げなかったが、この年から参戦した影響で、戦争映画局は1917年の初頭から、ジェネラル・フィルム社を介して連合国寄りの戦争映画を配給している。また、自由公債を発売し、セシル・B・デミル、ダスティン・ファーナム、ウィリアム・S・ハート、ロスコー・ファッティ・アーバックルらをキャンペーンに参加させる。最も成功を収めたのはチャールズ・チャップリンメアリー・ピックフォードダグラス・フェアバンクスだったという。


(映画本紹介)

アメリカ映画の大教科書〈上〉 (新潮選書)

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アメリカ映画の文化史―映画がつくったアメリカ〈上〉 (講談社学術文庫)

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映画史を学ぶクリティカル・ワーズ

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