ドイツ エルンスト・ルビッチの活躍とポーラ・ネグリ

 エルンスト・ルビッチは1917年に設立されたウーファ社で長篇の映画監督として活躍していた。この年ルビッチは、エミール・ヤニングスポーラ・ネグリが出演した、エジプトを舞台にした東洋趣味の探偵物メロドラマである「呪の眼」(1918)をヒットさせている。ルビッチにとっては経験のないジャンルだったが、スケールの大きい娯楽作に仕上げて、ウーファの期待に応えたという。他にもルビッチは、軽い喜劇の「I DON'T WANT TO BE A MAN」(1918)も監督している。

 ルビッチは他にも、ポーラ・ネグリ出演の豪華な大作である「カルメン」(1918)を監督している。「カルメン」でのネグリは、ソフト・フォーカスを使わず、野生的で活動的に見えるという。また、ネグリの存在は一時影を潜めていた妖婦タイプを再来させたと言われた。ネグリの人気は決定的となり、ドイツのグロリア・スワンソンとまで言われた。

 ポーラ・ネグリは、ポーランドワルシャワ王立劇場の若手俳優として活躍していた。第一次大戦中にドイツがワルシャワを占領していたとき、マックス・ラインハルトが目をつけ、ベルリンに呼んで「ズムルン」の主役に抜擢した。そして、スター不足のウーファは、ネグリをドラマティックな題材に合う演技力豊かな女優と考え、契約したという。

映画映像史―ムーヴィング・イメージの軌跡

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