第一次大戦後のドイツ映画界

 1918年11月、ドイツが降伏し、第一次大戦終結した。ドイツ軍には戦う余力がなかったが、軍は国民にも国会にも報告していなかったという。そのため、人びとの間には、戦争に勝っているのに政治家の陰謀で降伏したと信じられていたと言われている。そんな状況を反映し、傷ついた復員兵や餓えた市民が国内にいたのにも関わらず、ドイツの偉大さを立証するために、スケールの大きな豪華映画が製作されたという。

 敗戦したにも関わらず、マルクの暴落を逆手にとり、イタリアのお家芸であるはずの歴史スペクタクル映画まで量産するなどして、映画界だけは活況だったという。また、政府の後押しもあり、映画会社が続々設立され、1918年には131社になっていたと言われている。

 そんな中ウーファ社では、文化部を設置して学術的・教養的内容の教育映画の製作を強化している。国家の保護政策のもと、1920年代から1940年代にかけて多くの作品を製作されていく作品群は、日本にも影響を与えることとなる(日本では文化映画と呼ばれた。ドイツ語であるクルトゥールフィルムの直訳である)。エルンスト・クリーガー、ニコラス・カウフマン、ウルリッヒ・K・T・シュルツ、オスカー・カルブスといった人物たちが指揮をとっていた。

 ちなみにドイツでは、1918年に検閲が廃止されているが、エロティックな映画が製作されるようになり、反対運動が起こっている。