マック・セネット映画の長編化

 キーストン社を主宰していたマック・セネットは、この頃マック・セネット・コメディーズという会社に衣替えして、「HEARTS AND FLOWERS」(1919)といったコメディ映画を製作していた。

 キーストン映画初期のうちは即興で作られていたセネットのコメディは、次第に脚本家集団やギャグを考えるギャグマンを雇うようになっていた。さらに、編集も重視し(セネットはD・W・グリフィスからそれを学んでいた)、筋とは関係のない滑稽な断片(赤ん坊がスパゲティの皿に転ぶといったもの。「ビット」と呼んだ)を、作品がつまらない場合は編集で挿入して笑いを取るといったテクニックを使いこなした。だが、喜劇の主要な要素は原則的に追っかけだった。

 こういったセネットの製作方法はこの頃には行き詰まりを見せていた。ギャグマンや喜劇俳優たちの想像力はすぐに枯渇し、新たなギャグのためにより費用がかかるようになった(セネットはより金のかからない軽喜劇を目指したが完成させられなかった)。

 そんな中、時代が長編化の流れに向かっていたこともあり、セネットは長編へと向かう。1919年には、バーレスク調の戦争映画である「戦争ごっこ」(1919)が製作されている。フォード・スターリング、チェスター・コンクリン、ベン・ターピン、チャールズ・マレイのコメディ・スターを並べ、マリー・プレヴォーのお色気を添えたベルリンが舞台の作品である。

 マック・セネットの映画は、この後衰退していくことになる。しかし、セネットが果たした役割は大きい。ジョルジュ・サドゥールは、「世界映画全史」の中で次のように書いている。

 「セネットは、アメリカの喜劇映画全体の長であった、彼のライヴァルたち、あるいは弟子たちは、彼の伝統を追及し、外国の様々な要素を分かちあいながら、彼が創り出したいかにもアメリカ的な合成物を完成させた。アメリカの喜劇映画は、彼によって喜劇映画の流れの本流となり、トーキー映画の出現まで実質的に完全独占をほしいままにすることになったのである」

無声映画芸術の開花―アメリカ映画の世界制覇〈2〉1914‐1920 (世界映画全史)

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