ジョルジュ・サドゥールのセシル・B・デミル評

 この頃のデミルの作品についてジョルジュ・サドゥールは次のように書いている。

 「デミルのもとでは、時には熱狂に、<彼の観客>の気に入られるよう入念に計算された熱狂に達する極端さがあった。『聖書、性そして血が、それらに必要なものである』と、彼はある日語っていた。彼は規律正しい人の周到な注意を込めてこのモットーを実行し、この公式からドル箱を作り出した」(世界映画全史)

 デミル以前にも同じような主題を扱った映画はあり、デミルがこの分野を開拓したわけではなかった。だが、デミルは扇情的な内容を、中産階級にも受け入れられるような様式にして提供したために、大衆的な人気を得た。デミルの映画は、アメリカの中産階級向けの、セックスの喜びや結婚生活の実技指南とも言えるものだった。エーリッヒ・フォン・シュトロハイムの映画は高踏的で、冷笑的であり、中産階級が真似できるものではなかった。

 そんなデミルについてジョルジュ・サドゥールは次のように称している。

 「思慮深い商人でありビジネスマンであるセシル・B・デミルは、最も多くの観客にもてはやされるのを常に虎視眈々と狙っていた。彼は世論の動き、好みの変化、その観客の変動に注意していた」(世界映画全史)

 時代の流れも変化していた。第一次大戦によって若い男性が戦場へ送られたために、姦通や離婚への視線が和らいでいたのだ。デミルはこの道徳の変化を巧みに掴んでいたとも言える。

 しかし、デミル自身は自分で進んでセックス・アピール映画を監督したのではなく、あくまでも会社側に押し付けられたと主張している。また、デミルは「結婚と夫婦生活の義務の相互履行をすすめたまじめな映画」と語っているが、セックス・アピールがあったから観客は見に行ったのだった。

無声映画芸術の成熟―第1次大戦後のヨーロッパ映画〈1〉1919‐1929 (世界映画全史)

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