イタリア 製作本数が激減

 イタリアの映画製作会社は、1919年にUCIとフェルトという2大製作会社に集約されていた、UCIはイタリア映画草創期から活躍していたアルトゥーロ・アンブロージオを製作担当としたが、不振を脱することはできなかった。製作本数は1920年の220本に対して、100本と激減している。

 そんな状況を打開するために、UCIが「クオ・ヴァディス?」の再映画化を発表している。だが、製作はトラブルが続き、公開まで4年がかかっている。

 前年に自身の会社であるギオーネ・フィルムを設立したエミリオ・ギオーネは、かつて人気を得たザ・ラ・モールのキャラクターを復活させるが、往年の人気は取りもどせなかった。ギオーネはこの後、ドイツへ行ったり、劇団を作ったりするも失敗。1928年には元のエキストラとなり、1929年に50歳で死去している。ギオーネはイタリア映画の凋落を象徴する人物とも言われている。