映画評「椿姫」

 原題「CAMILLE」 製作国アメリ
 ナジモヴァ・プロダクションズ製作 メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション配給
 監督レイ・C・スモールウッド 原作アレクサンドル・デュマ・フィス 脚本ジューン・マシス
 出演アラ・ナジモヴァルドルフ・ヴァレンティノ

 主演のマーガリットを演じているのはアラ・ナジモヴァという女優である。ナジモヴァは現在ではほとんど知られていないものの、当時はかなり人気のあった女優である。スタニフラフスキーの元で学び、ブロードウェイで知名度を得て、ハリウッドにやって来た女優だ。

 ナジモヴァは一女優としてだけでは満足せず、自らのプロダクションを立ち上げて映画を製作した。この作品もその1本である。

 原作は、アレクサンドラ・デュマ・フィス(「三銃士」のアレクサンドラ・デュマは父親)によるメロドラマであり、1937年に製作されたグレタ・ガルボ主演バージョンが最も有名な映画作品である。

 ストーリーは単純だ。金持ちの伯爵に飼われているマーガリットは不治の病に冒されている。献身的に介抱してくれるアルマンと恋に落ちるも、アルマンとアルマンの妹のために身を引くようにとアルマンの父親に説得される。マーガリットは身を引き、アルマンを心に思いながら死んでいく。

 ナジモヴァを中心に映画は動いていく。自分の死期を悟り、自暴自棄に狂宴にふけるマーガリットをナジモヴァはまるでドラッグでトランスしているかのように演じる。仕草は大げさで、表情はグロテスクなまでに変化を見せる(白目をむく演技が拍車をかける)。はっきり言ってまったく共感を覚えるところはないほどだ。そんなマーガリットはアルマンと恋に落ちると静かな美しさを取り戻す。そして、アルマンから身を引いたあとは、最初の自暴自棄の状態とアルマンへとの愛の中で得ていた静けさの間でもがき苦しんでいるかのような、両方の要素を持った演技を見せる。

 ナジモヴァの演技は少し過剰にも見えるし、演劇的にも見える。元々は舞台女優であることや、自身のプロダクションでの製作から来る気負いも感じさせる。ナジモヴァをクロース・アップで捉える際の過剰なでのソフト・フォーカスは、まるで過剰なナジモヴァの演技を少しでも和らげて捉えようとするかのようだ。

 そんなナジモヴァの演技を中和する存在がある。それは、ルドルフ・ヴァレンティの存在だ。当時、ヴァレンティノは「黙示録の四騎士」(1921)によって大衆の人気を集めていたが、「シーク」(1921)による決定的な人気を得る前だった。おそらく、人気を得た後ではこうはいかなかったであろう、ナジモヴァに呼応した演技をこの作品で見せている。

 ヴァレンティノはマーガリットがトランス状態にある前半ではひたすら引いて演技している。中盤のマーガリットとアルマンが愛し合うシーンでは対等のテンションで、後半のマーガリットがもがき苦しんでいるシーンでは、前半のマーガリットのようなトランス状態のような演技を見せる。ヴァレンティノの演技自体は、少し大げさに見える。それは他の作品でも同じなのだが、わかりやすいくらいはっきりとした表情を示すヴァレンティノの演技は、捉えようによっては大根役者とも見える。しかし、このわかりやすさが、この作品ではナジモヴァの演技にうまく呼応しているように見えてくる。特に、後半のナジモヴァへの愛と憎しみが滲み出た表情や行動は、この映画がナジモヴァの映画ではなくヴァレンティノの映画であるかのような強烈な印象を残す。

 ヴァレンティノの存在感が大きいために、ラストのマーガリットの死にヴァレンティノがまったく登場しないのが不思議なくらいだ。しかし、もしヴァレンティノがラストに登場していたらこの映画はナジモヴァの映画として成立していなくなっていたかもしれない。そのために、アルマンがマーガリットに贈った「マノン・レスコー」の本として、マーガリットの側にいることを余儀なくされている。

 この後すぐにヴァレンティノ夫人となるナターシャ・ランボヴァが、セット・デザインを担当している。彼女が担当したマーガリットの住むマンションの造形が素晴らしい。現実的ではない部屋割りや、扉や窓の造形はまるでこの世のものとは思えないものであり、マーガリットの存在の不安定感を表現しているかのようだ。

 「マノン・レスコー」を、小説の内容の面でも小道具としてもうまく使い、映画に深みを与えた脚本もまた見事だ。脚本を担当したのはジューン・マシスという女性である。彼女はヴァレンティノの魅力にいち早く気づき、メトロ社にヴァレンティノを推薦した人物としても知られている。



グレタ・ガルボ主演作のDVDだが、映像特典として本作品が収録

椿姫 特別版 [DVD]

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