映画評「女郎蜘蛛」

 製作国フランス 原題「L’ATLANTIDE」 英語題「LOST ATLANTIS」 
 International et Commercial de la Cinématographie、Société Générale pour le Développement、Thalman et Cie製作

 監督・脚本ジャック・フェデー 出演スタシア・ナピエルコウスカ、ジャン・アンジェロ

 舞台はサハラ砂漠フランス軍のサンタヴィ中尉は、砂漠の中にある宮殿に住むアンティネア女王に捕えられた話をする。友人で軍人のモランジュと共にアンティネア女王に捕えられたサンタヴィは、アンティネア女王を愛するようになるが、女王の愛はモランジュに向いており・・・。

 ベスト・セラーの映画化であり、大ヒットを記録した。ジャック・フェデーの出世作である。

 困難を極めたというサハラ砂漠での大々的なロケはエキゾチックな魅力を放ちっている。さらには、砂漠の中にいる妖艶な女王が男をたぶらかすという、ヴァンプ映画としての要素も、人々の好奇心を煽ったことだろう。しかも、ベスト・セラーの映画化だ。大ヒットも頷ける。しかし、それは映画の出来が良いということを意味しているわけではない。

 「女郎蜘蛛」は、正直言って駄作であると思う。当時の技術を考えると、サハラ砂漠のロケには大変な困難があったであろうことは予想できる。しかし、冒頭の白骨化した動物の死体やうごめくトカゲなど、ロケの効果は限定的だ。それよりも、宮殿のセットの方が私には優れているように感じられた。

 ヴァンプ映画である。ヴァンプ映画の先駆けと言われる「愚者ありき」(1915)は、徹底的な省略法とリアクションによって、ヴァンプの魅力を描いている。言い換えれば、セダ・バラ演じるヴァンプがどのように魅力的なのかは描かれておらず、ヴァンプに魅せられた男の変化によって、間接的にヴァンプの魅力を描いているのだ。

 直接的にヴァンプとしての魅力を描かれているのが、「女郎蜘蛛」のアンティネア女王である。もちろん、直接的な手法で描かれることが悪いことではない。だが、人にはそれぞれ好みがある。万人が魅力を感じるヴァンプなどいない。私にとってはナピエルコウスカ演じるアンティネア女王は少し年をとりすぎているように感じられてしまった。

 直接的な描写はアンティネア女王だけではない。宮殿に届くヨーロッパからの豪華な品々。幻想的にエキゾチックなはずの宮殿は、急速に現実感を帯びてくる。9000年前に沈んだアトランティス大陸の一部である宮殿にしては、いかにも「空輸されてきました」という木箱は似合わない。

 ヴァンプという存在も、失われたアトランティス大陸も、そこに住む女王も、現実的ではない。現実的ではないものを現実的にするための方法として、「愚者ありき」は間接的な方法で観客の想像力に委ね、「女郎蜘蛛」は直接的に描写して観客に提示している。観客の想像力は無限大だが、直接的な描写には限界がある。

 「女郎蜘蛛」は駄作だと書いた。少し言い過ぎかもしれない。だが、観客に受け入れられやすい要素を散りばめていながら、(少なくとも私には)魅力を感じられないヴァンプを配し、幻想をぶち壊す現実感を持ちこまれ、ロケ撮影と宮殿のセット以外には映画的魅力に欠け、さらには160分強の上映時間であることを考えると、私には駄作と感じられる。野心が感じられず、技術が見られず、内容が好きではない作品を、褒めるわけにはいかない。