ドキュメンタリー映画の先駆け 「極北の怪異」

 ロバート・フラハティは、ドキュメンタリー映画の先駆けともいえる「極北の怪異(極北のナヌーク)」(1922)を監督している。


 フラハティは元々冒険家で、1910年から5回にわたり亜北極圏を探検し、このときにも映画を撮影している。1914年から1916年にかけてグリーランド近くのバフィン地方でドキュメンタリー映画の撮影も行っている。


 「極北の怪異」は、フランスの大手皮商人のレヴィヨン兄弟社の財政支援によって製作された。ハドソン湾北東岸のヒューロン港近くに16ヶ月滞在し、撮影を行った。フラハティは当地のイヌイットエスキモー)から主人公を選び、物語の役柄を演じさせており、現在から見ると劇映画的な性格も持った作品である。


 衣装、踊り、儀式といった民間伝承的な面だけではなく、食事、猟、建築といった部分も描くために、生活を「再現」してもらった。撮影用に大きな家を建て、光を得るために半壊状態にしたりもしたという。だが、当時の映画はセット内で、スターを使い、台本を元に撮影されていた場合がほとんどだったことを考えると、以後の劇映画がフラハティの手法に影響を受けたとも言われている。


 当時のアメリカで、「極北の怪異」に関心を示したのはパテ社のみだった。パテ社はハロルド・ロイド作品との併映で公開したが、世界的なヒットとなった。この作品のヒットによって、世界中のアイスに「エスキモー」の名前がついたという。


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