メイベル・ノーマンド人気の陰りと、その他のコメディ

 マック・セネットの元で映画に出演していたメイベル・ノーマンドは、「スザンヌ」「臨時雇の娘」(1923)といった作品に出演したが、往年の人気を呼べずにいた。この後メイベルは、ハル・ローチ監督の短編コメディに出演してキーストン時代のような役柄を演じたが、健康を害していたこともあり、かつての快活さは見せられなかったという。さらに1926年にルイス・コディと結婚をするも、1930年2月に36歳の若さで死去している。

 コメディのプロダクションとして多くのヒット作を送り出していたハル・ローチのスタジオは、ウィル・ロジャースと契約を結んでいる。ロジャースは以前からショー・ビジネスの世界におり、曲芸を見せ、ジョークを飛ばし、映画にも出演していた。

 エッサネイ時代のチャールズ・チャップリンとも共演したコメディアンのベン・ターピンの本領は、パロディ精神にあったと言われている。この年は、ルドルフ・ヴァレンティノの「シーク」(1921)のパロディである「スリーク・オヴ・アラビー(笑王ベン・ターピン)」(1923)に出演している。