バスター・キートンの骨折とアーバックルの監督復帰

 バスター・キートンは、「海底王キートン」「探偵学入門(忍術キートン)」(1924)に主演している。相変わらずの体を張った作品であり、「探偵学入門」の撮影に際して首の骨を折るが、そのときは気づかずに後年検査したときにわかったという。ちなみに、チャールズ・チャップリンハロルド・ロイドと共に三大喜劇王と言われるキートンだが、人気の面ではチャップリンが一番でロイドが続き、キートンは離れていたという。

 「探偵学入門」をジョルジュ・サドゥールは「世界映画全史」の中で、「最も完全で最も平然と羽目をはずした作品であろう」と評価している。

 「海底王キートン」の監督はバスター・キートンが担当しているが、当初ウィル・B・グッドリッジという聞きなれない人物が監督する予定だった。この人物は、実はロスコー・アーバックルのことである。ウィル・B・グッドリッジは、「きっと良くなる(WILL BE GOOD)」のモジりで付けられた。

 1924年当時、強姦容疑で映画界から姿を消したアーバックルはどん底にいた。10万ドルにも及んだといわれる裁判費用は、かつてのアーバックル映画の製作者だったジョセフ・スケンクに肩代わりしてもらっていた(スケンクは人情に厚い人物であるとキートンは述べている)。映画には出られず、ナイトクラブに出演したりしていたが、まったく面白くなかったという。そんなアーバックルに監督を依頼することを、アーバックル映画の共演者としてデビューしたキートンが思いついたのだった。

 アーバックルのコメディ映画監督の復帰はうまくいかなかった。撮影中アーバックルは常にイライラし、スタッフに当り散らしたといわれている。困ったキートンは、マリオン・デイヴィス主演作の監督が見つからず困っていることを知り、アーバックルを推薦した。アーバックルは起用され、「赤い風車」を監督し、成功したという。

 「海底王キートン」はグッドリッジの他にも、ドナルド・クリスプが監督として雇われている。キートンは、群衆シーンやコミカルではないシーンのために雇ったのだが、クリスプはギャグのシーンにも口出しをしてきた。しかも、ひどいアイデアばかりだっため、海底シーンの撮影の前にクリスプには降板してもらうことにしたという。

 ちなみにキートンは、長篇に合った内容とするため、パイ投げやシュールなギャグはやめるようにしていたという。また、一度主人公の行動に観客の関心を集めたら、脇にそれないようにする工夫をしていたという。「海底王キートン」で、キートンが恋人を助けに行く途中で、本筋とは離れたギャグが入れたところ不評だったためだと自ら語っている。

 この頃キートンの週給は2,500ドルで、プラス利益の25%(年10万ドル)をもらっていたという。そんなキートンは30万ドルの家を買い、大きなパーティも開き、買いたいものは買うという豪勢な生活を行っていた。また、妻で女優のナタリー・タルマッジも大金を使ったという。

 キートンはトランプのゲームであるブリッジにこの頃からはまり始めたという。プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンとは、ブリッジでケンカをしたこともあるらしい。ちなみに後に、落ちぶれたキートンゴールドウィンが呼び、役を振ろうと思ったがやっぱりやめたと言われ、キートンは部屋を笑って出て行ったという話をキートン自らが語っている。


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