「ベン・ハー」とサルバーグの荒療治

 「ベン・ハー」(1925)はMGMの作品だったが、元々はゴールドウィン社でサミュエル・ゴールドウィンが製作していた作品だった。チャールズ・ブレイビン監督、ラオール・ウォルシュ主演で、ローマで撮影していたのだが、14ヶ月と200万ドルを使ってもまだ完成していなかった。MGMが創立され、ゴールドウィンが経営陣から退き、映画化権がMGMに譲渡され、MGMの製作責任者だったアーヴィング・サルバーグはフレッド・ニブロに新たな脚本で監督させた。ハリウッド付近で撮影させ、古い撮影隊を解散させた。結果、完成した作品は興行的に成功を収めた。

 「ベン・ハー」の最大の見せ場である二輪車競争のシーンのカット割りは、当時盛んになりつつあったカー・レースの記録映像を参考にしたと言われる。MGM内のオープンセットで撮影され、42台のカメラを使い、製作費の8分の1にあたる25万ドルが使われたという。協力監督としてクレジットされている、西部劇のアクション監督リーヴス・イーソンの力も大きかったと言われている。

 また、部分的に2色テクニカラーが使われている。

 サルバーグとルイス・B・メイヤーのコンビの勢いは強く、反メイヤー派の監督や製作者は他社へ移っていった。3社の寄り合いでバラバラだったMGMは、徐々にメイヤー=サルバーグの意のままとなっていく。

ベン・ハー [DVD]

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